そのうち,活断層の証拠となる変位地形が明瞭な区間は山崎町東部から夢前町宮置にかけての約14kmの区間であり,この区間では,所々に左横ずれ変位を示す南北性の河川や谷・尾根筋の系統的な屈曲が認められる(図5−11,表5−6)。さらに, 夢前町護持では,崖錐性の砂礫層を切る断層露頭を確認した(図5−11)。
暮坂峠断層では, 2箇所でトレンチ調査を実施した。平成11年度に実施した夢前町護持トレンチでは,主断層とみられる断層は確認できなかったが,千数百年前の地層に変位を与えている多数の小断層を確認した(図5−12)。一方,平成12年度に実施した山崎町川戸トレンチでは,基盤の超丹波帯(頁岩・砂岩)中に主断層とみられる破砕帯(幅2mの断層粘土を持つ)が出現し,破砕帯から上方の約千数百年前の地層に延びる断層(上下方向の変位量:北上がり15cm)を確認した(図5−13)。
これらトレンチ壁面に表れた断層は,上下成分が小さいだけでなく,断層変位が堆積層に入ると急に不鮮明になる傾向があり,大きな横ずれ成分を伴う可能性は低い。したがって,暮坂峠断層に沿っても,千数百年前以降に断層沿いに変位をもたらす活動が生じたのは確実であるが,起震断層として活動したかどうかは断定できない。むしろ,安富断層などの活動に伴い,副次的に動いた可能性がある(表5−6)。
表5−6 暮坂峠断層の諸元
図5−12 暮坂峠断層《夢前町護持》トレンチ北西側壁面模式図(引用:兵庫県(2000))
基盤(白亜系相生層群)直上に分布するC2層(14C年代値約2400年前)やB2層(14C年代値1180年〜1900年前)に,10cm以下の上下変位を与える複数の断層が認められる。
断層変位は,B1層(14C年代値約1110年前)にまで延びていないようであるが,これは変位量が小さいことによる可能性がある。したがって,これらの断層に沿う変位が生じた時期は,B2層の年代から見て少なくとも1180年〜1900年前以降であると推定した。
なお,基盤は全体に破砕質であるが,暮坂峠断層本体と見られる顕著な断層粘土帯は認められないこと,堆積層を切る断層の多くは横方向(断層の走向方向)に連続しないこと等から,当トレンチの情報だけでこれらの断層が,起震断層なのか,副次的に活動したものなのかを評価するのは困難である。
図5−13 暮坂峠断層《山崎町川戸》トレンチ北西側壁面模式図
壁面下部に出現する基盤(ぺルム系超丹波帯に属する頁岩・砂岩)中に,顕著な断層粘土帯(幅2m程度)が認められた。この粘土帯は,地形的に推定される暮坂峠断層上に位置し,走向も暮坂峠断層方向に一致している。そして,この粘土帯の北端部(断面図右端)で,基盤上を覆うC層(14C年代値1880年前)を上下に約15 cm食い違わせる断層が確認される。
この断層は, B層下部(14C年代値1410年前)にも変位が及んでいる。断層変位は,A層(14C年代値520年〜900年前)にまでは延びていないように見えることから,断層の最も新しい活動時期は,900年〜1410年前の間の可能性がある。
ただし,トレンチ壁面に表れた断層は,上下成分が小さいだけでなく,断層変位が堆積層に入ると急に不鮮明になる傾向があり,大きな横ずれ成分を伴う可能性は低い。従って,暮坂峠断層が900年〜1410年前に活動した可能性はあるが, 起震断層として活動したとは断定できない。むしろ,安富断層などの活動に伴い副次的に動いたり,余震等に伴なって活動した可能性がある。