とくに、昭和30年代に藤田和夫委員長によって行われた地質調査によると、大阪層群に挟まれているアズキ火山灰やピンク火山灰などが甲陽断層の北側に沿って断続的に分布することより、断層は上ヶ原から甲陽園をへて高塚山に連続すると考えられている。また、これらの露頭においては、甲陽断層は大阪層群中部亜層群を著しく撹乱させていることがわかっているが、第四紀後期における活動性は不明であった。
しかし、最近の地形学的調査によると、上ヶ原から甲陽園間における甲陽断層の上下変位量は、10〜10数万年前に形成された地形面が30m程度、数万年前前後の地形面が10m程度であることが示され、この断層が第四紀後期においても活動を継続していることが指摘されている。