4−1−1 西古多糠地区

表4−1−1にボーリング・ピット調査の総合層序・解釈表を,図4−1−1に地質断面解釈図を示す.

[地層の堆積時期など]

下部礫層:LGcs層は材化石を含むなど全体に炭質であることから河川の後背湿地等の堆積環境が推測され,LGsg・LGvs層は全体に火山灰質で側方への層相の変化が比較的著しく,火山体近傍に位置する網状河川等の堆積環境が推測される.10°〜20°前後の地層傾斜があり,薫別川本流・北岸枝沢に分布する幾品・陸志別層の緩傾斜構造部に岩相的に類似しており,両層に対比した.

上部礫層:UG2層は礫種構成が薫別川の上流の地質構成と類似し,多様である.このことから,同層の堆積時には薫別川が南東方向に流下していたと推測できる.UG1層は礫種構成が単調(S04−Ko−3孔を除く)で最大礫径60mm程度であること,層厚が最大3m程度と薄いことと周辺の段丘面の分布状況から,小規模な支流の堆積物である可能性がある(地形測量により見出された南北に緩く傾斜する旧沢状地形と対応するように,東方へ厚くなる).

下部火山灰・ローム層:LVLs−c層は凍結擾乱作用が顕著に発達することから,最終氷期の最寒冷期頃に堆積したと判断される.なお,S04−Ko−P3で分布が確認されたLVLg層は地形測量による南北に緩く傾斜する旧沢状地形と分布が対応することから,UG1層堆積以後からLVLs−c層堆積時まで小規模ながら支流は分布していたと推測できる.LVLlc層は塊状・無層理のローム質土からなり,風成層の可能性が高いと考えられる.調査地域を通じて相当層が分布し,含まれる炭質物の放射性炭素年代値は概ね約1万2,000y.B.P.(14C)前後の年代値(北武佐地区の相当層の年代)を示す.

[地形・地質発達および断層活動]

鮮新世のある時期に知床半島中軸が山地化を開始するとともに,粗粒相である下部礫層が堆積した.同世の後半になるとその隆起は一層盛んとなり,山地際に直立・逆転帯が形成された.これが最盛期の古多糠断層の活動である.最終間氷期の最盛期以降の海面低下・寒冷化とともに知床山地から根室海峡に向かって扇状地が発達したが,その際に堆積したものが上部礫層のUG2層である(最下部に屈斜路火砕流堆積物W:Kpfl−Wの断片).下部礫層と上部礫層の堆積の間には地層の年代設定に明らかなように,両者は明瞭な不整合関係にあり,大きな堆積間隙がある.この堆積間隙中に前期更新世の堆積物は欠如して高位面堆積物が主に薫別川北岸側に分布するが(ボーリング・ピット調査に基づく図4−1−1の図には登場せず),明らかに北東〜東へ10°前後で傾いている.このことから,高位面堆積物の示す最終間氷期以前の間氷期(20〜30万年前?)以降に古多糠断層の活動があったことは確実である.

UG2層は網状河川性の扇状地によって形成されたので,ほぼ一様で平坦な地形面を形成していたが,最終氷期に入る頃には,一部の支流によって浅く削剥され,その凹地に新たに砂礫層(UG1層)が堆積した.これらを覆って引き続き降下火山灰に由来するLVLs−c層(下部火山灰・ローム層)が堆積したが,これは最終氷期最寒冷期において,地表付近でインボリューションなどの凍結擾乱作用を受けた.同時にこれらの堆積面は大規模な海面低下に伴う侵食基準面の低下によって,新たな河道を持つ薫別川に下刻を受けるようになり,段丘化した(中位面1の形成).これらの残存した段丘面上には、摩周火山などの活動に伴う降灰があり,LVLlc層やMa−l層が堆積し,地形の平滑化が進んだ.

 平成15年度の地形地質調査(概査)簡易測量および本調査のボーリング調査前段の地形測量において,本地区の中位面1に幅100mあまり・比高差4m程度(撓みの前後の地形勾配を考慮)の撓曲が認められたことから,少なくともUG1層堆積後(恐らく5万年前頃以降)に累積4m程度の変位の数回の古多糠断層の活断層としての活動があったことが類推できる.,図3−2−4のボーリング柱状対比断面図に明らかなように,Kpfl−Wにも地形の撓み以上の傾斜(撓み)があるように見える.最新活動の時期は断層そのもののずれが直接地表に及ばないことから,明確にならない.