[紋別地区]
広尾町紋別地区(図3−1−1−3)について、地表踏査(精査)を行った.この地区について,トレンチ調査適地選定のため,既存の空中写真を用いて詳細空中写真判読と現地踏査を行った.結果を1/5,000精査図(付図1十勝−1)に示す.
調査地周辺を構成する地形単元は、地区の大部分を構成する波長の短い起伏に富む段丘面と、その北西方のゆるやかな丘陵から構成される.西北部の丘陵は標高150〜300m程度で、稜線高度は南東方へ緩やかに下っている。丘陵地は先第三系中の川層群(泥岩・砂岩を主とする)からなる。丘陵の南西端には、上更別V面(Hi−t5面)が張り付くように分布する。上更別V面の堆積物は、露頭KM−9やKM−10で観察されるように、細礫まじりのローム質シルトからなる(図3−1−1−6)。細礫は円摩度・淘汰度がやや悪く、薄片観察では中の川層群起源の泥岩・砂岩・変質玄武岩からなることから、西北に隣接する丘陵地起源である。細礫まじりローム質シルトには、頻繁に軽石層が夾まれる。これらは軽鉱物・軽石と重鉱物(opx, cpxを主とする)が分離し並行〜低角斜交する薄いリズミカルなラミナを成すことや、軽石の角が丸くなっていること、伸長した形状を持つ緻密な微細な気泡を主としブロック状の未発泡部と大型気泡を伴うfiberタイプ軽石(ロックカラーチャート値で10YR8/6−10YR7/4)がほとんどであることから、Spfa 1降下軽石の再堆積物と判断される。段丘面は北部に忠類面(Hi−t6〜t7)、南部に尾田面(Hi−t8)、最南部に石坂面・大樹面(Hi−t9〜10)が分布する(平成13年度調査で石坂面と判断した面の大半は尾田面であった)。いずれの面でもチャネルによる比高数十cm〜4m程度の波長の短い起伏が発達する。ただし尾田面では、光地園断層リニアメントの西側は東側にくらべ比高数十cm〜3m程度低く、KM−1、KM−2ではクロボク中に頻繁に礫が混じり(図3−1−1−6)、町道21線付近でも同様であった。トレンチ南方の地点AおよびBでは、上盤側・下盤側とも細礫〜円礫の上位にクロボクが発達するが、下盤側で特に顕著であり、上盤側から2390±40yBP、下盤側から2750〜2140yBPの14C年代が得られた(図3−1−1−7;図3−1−1−8)。同時に行った花粉分析では、2140yBPの試料上位に発達する砂質シルト上面から針葉樹林増加・高層湿原化の層準(2000年前)が得られ、2000年前前後にチャネルが形成されたことを示す。この低地の北西端は丘陵地から流出する河川に連続し、チャネル状地形もまたこれら河川に連続することから、この低地は尾田面上に形成された支流性河川堆積物の面であると考えられる。光地園断層のリニアメントは町道21線(トレンチ掘削地点)以南で顕著である。トレンチ地点から南東に比高2〜3m程度の撓曲崖が300m程度延びる(図3−1−1−4)。平成13年度LG−9測線では比高2.3mてある。それ以南では崖は東南東へ走向を変え、町道22線付近ではほぼ東西となる。それ以南では再び東南走向となり、豊似川に至る。ただしこれは豊似川によるより新しい時代の浸食によるものである。一方、町道21線以北では崖の比高は数十cm程度からゼロ(図3−1−1−4;図3−1−1−5)となり国道236号線付近で消滅、それ町道21線〜国道236号線以北で実施した光波測量器による詳細測量でも連続性のよい崖地形は見いだせない(図3−1−1−9)。リニアメントの北方延長に分布する微高地(支流性河川堆積物面内に取り残された尾田面原面)やさらに北方の忠類面にも、東上がりの撓曲崖は認められない。ここでの尾田面・忠類面は支流性堆積物の面から充分に高い高度差を持ち(数m以上)、面の堆積物にも支流性河川の影響を示すものは見いだされない。光地園断層は紋別地区の中央部(国道236号線付近)を北端とすると考えられる。
[上野塚地区]
付図2 十勝−2に地表踏査(精査)結果を示す。上野塚地区は北部に標高150〜110m程度の丘陵、南部に標高90〜110m程度の段丘面が分布する。丘陵は露出不良ながらも、東に新第三系豊似川層の砂岩・泥岩・礫岩が、西に中の川層群の泥岩・砂岩が分布する。丘陵の頂部には上更別面(Hi−t4〜t5面)が残存している。面の開析度や周辺地域の相当面との対比により上更別面U面・V面に区分した。丘陵斜面の沢では、Z−M(銭亀−女名川テフラ)由来の角閃石濃集層が露出する。丘陵の東縁には忠類面(Hi−t6面)が張り付き、Kt−6テフラが観察される。南部の段丘面は尾田面(Hi−t8)、石坂面(Hi−t9面)からなり、野塚川北岸にそって沖積面(Hi−a1)が張り付く。丘陵から流出する河川は、尾田面上に山麓扇状地を形成する。光地園断層リニアメントは南北〜北北西−南南東走向に延びる(図3−1−1−10)。比高は2〜2.5m、総延長は900mてあり、石坂面南端で消滅する。丘陵部ではリニアメント北方延長が沢地形となり、沢を夾んで上更別V面に約10mの東上がり高度差が認められる(平成14年度調査)が、この他に地形変位を示すデータはない。野塚川北岸沿いの町道付近では、上盤側で人工改変の影響があるものの、石坂面の段丘礫層上面に、地形と調和的な約3.2mの東上がり変位が認められる(図3−1−1−11)。
[楽古地区]
楽古地区の地表踏査(精査)図を付図2 十勝−2に示す。ここでは、低位段丘面(石坂面:Hi−t9)が精査範囲の大半を占める。石坂面上には、現在の小河川・水路に沿って高度差1m程度の低地が延びる。この低地ではクロボクの層準に頻繁に細礫層・礫混じりクロボクが認められ、石坂面上に形成された支流性河川堆積物の面と判断される(図3−1−1−13)。東郷(1983)、活断層研究会(1991)などでは、この地区の中央にある水路の東側に高まりが想定され、光地園断層による変位地形とされた。水路を横断する測量断面を図3−1−1−12に示す。水路の東側の幅約7mの区間は他の区間に比べ80cm程度高い。しかしこの区間は水路沿いの盛土区間であり、この区間からさらに東では水路西側と高度差はほとんどない。高度変化は非常にシャープであり高度異常があるのは盛土区間のみである。水路の北方延長に分布する石坂面にも特に高度差は見られない。この高まりは人工地形であると判断すべきであろう。
この他にも、断層による変位地形と判断できる地形は楽古地区およびその南方延長の低位〜中位段丘面には認められない。