音更町栄地区のボーリング調査結果を図3−4−4−2(地質断面図)に示した。この地域に出現する地層を上位から、A層、B1層、B2層、B3層、1−2C層、1−2D層、3−4D層、5−5D1層、5−5D2層、5−5E層、1−2F層、5−5F層、G層に区分した。
A層は各孔に見られる最上位の耕作土・盛土であるが、B−5−4孔では盛土のために厚くなっている。
B1層はB−5−2,3,4孔に見られる腐植層である。B−5−3,4孔では基底付近に火山灰(Ta−cテフラ)が挟まれることが確認されたが、B−5−2孔には同テフラは認められない。B2層はB−5−3,4孔に見られ上下を腐植層に挟まれる砂主体の地層で、20〜30cmの厚さとなっている。B−5−3,4で認められるB3層は、B2層直下の黒色腐植層である。B1,B3層は比較的均質な黒色腐植層であり、パッチ状〜薄層状に砂質部を夾在することはあるが、礫が含まれることはまれである。B−5−2孔の深度1.36−1.45mで認められる砂質部は、B−5−3,4孔のB2層に比べ薄く,直上にあるべきTa−cテフラを欠く.B2層に対比することは危険であり,B−5−3,4孔でB1層に見られるような局所的な砂質部と見なすべきであろう。
1−2C層はB−5−1孔に認められる細粒〜中粒砂層(腐植・植物片を含まない),1−2D層はB−5−1・B−5−2孔において認められる細礫まじり細〜中粒砂層(炭質物・腐植含む)である.これらは,B−5−1東方の道路切り割りにおいて相当層が露出するが(現在は植被されている),西方のB−5−3,4,5では認められない.道路切り割りの1−2C層基底からは13,360±110, 13,520 ±80 yBPのC14年代が平成13年度調査により得られ,本年度調査ではB−5−1の1−2D層基底から14,320±70yBPのC14年代が得られた.B−5−1,5−2および東方の道路は,B−5−3,4と異なりボーリング地点南東に扇頂を持つ小扇状地上に位置し,最終氷期後半に形成された小扇状地を構成する地層であると考えられる.1−2F層は下位の地層(G層)を侵食する段丘堆積物基底の砂礫層と判断される.
一方B−5−3,4孔では腐植層(B1層〜B3層)の直下に砂礫層(3−4D層)が確認される。この砂礫層は下位のG層(池田層)を侵食した堆積物と考えられ、この地点で地形を形成した地層と判断される。B−5−3孔にてB1層基底から3,250±70yBP,B2層基底から3,310±60yBPの14C年代が得られた.一方,長流枝内川北岸(栄地区ボーリング地点の北方)に分布しB−5−3,4孔の位置する段丘とほぼ同高度の段丘面において,段丘礫層を直接覆う腐植層基底から3690±50yBPの14C年代が得られた(表3−1−3−1).3−4D層は完新世中〜後期に離水した段丘礫層と見なせよう.一方B−5−1,2孔では砂礫層を覆うのは13〜14kaの礫・砂・シルト細互層であり、B−5−3,4の3−4D層に相当する砂礫層は存在しない。B−5−1,2孔とB−5−3,4孔は,異なる地形面上にあると見なすべきであろう.
B−5−5層の層序は他のボーリング孔(B−5−1,2,3,4)とは著しく異なる.0.30〜1.56mは腐植成分にやや富むことから一応B層に対比したが,全般に礫・砂・シルトの混入が顕著かつ淘汰が悪く,全体として極めて乱雑である.5−5D1層は細礫,炭質物や腐植物を含む細〜中粒砂主体の地層,5−5D2層は炭質物や植物片を含まない細粒砂から成る。砂粒子および火山灰(B−5−5の深度2.97〜2.98m)は風化した黒雲母、円摩され汚濁した軽石・火山ガラス、火山岩片から構成され芽登凝灰岩と似る。これらはまれに30°程度傾斜する葉理が認められるが基本的には水平ないし数度程度傾斜する構造を持つ。これらの地層はその層相および分布高度から、直接B−5−3、4孔に見られる地層に対比することは困難である。5−5E層は腐植質だが上下の層相が大きくことなるため隣接孔の地質とは対比不能である。C14年代も5−5D1層基底で1190±40、その下位の5−5E基底で880±40 yBPと逆転を示す。B−5−3孔のB1層基底に認められるTa−cテフラ(3ka)はこの付近の段丘上では必ずといっていいほど認められるテフラだが、B−5−5では全く認められない。5−5F層は1−2F層と共に下位の地層を侵食する段丘堆積物基底の砂礫層と判断されるが、B−5−1,2孔とB−5−5孔では上位の地層が異なることから、直接対比できると断定できない。したがって、B−5−5孔で観察される地層全体は、その東西に隣接するボーリングで観察される地層との対比が困難である。住居付近(B−5−2〜5,3孔付近?,詳細不明)で過去に切土・盛土したことがあるとの地権者証言が得られた.B−5−5孔直下およびその周辺は盛土ないし人工擾乱の影響を受けた堆積物である可能性が高い.
G層は各孔に見られる地層で、層相の変化が見られるが、亜炭を含むこと、軽石粒が大量に含まれること、淘汰の良い砂層であることから池田層と判断される。池田層の傾斜はB−5−3孔では緩やかで、B−5−5孔では急傾斜であることから、旭断層による傾動構造はB−5−5付近を通過していることは明らかであり、断層活動に伴う変形がもし存在すればB−5−3とB−5−5孔の間に現れる可能性が高い。しかしB−5−1〜B−5−2孔はMa−t10面上に形成された最終氷期の小扇状地,B−5−3〜B−5−4はTa−cテフラ降下直前に離水したMa−a1面(沖積段丘)であるため,断層活動を認定する変位基準は存在しない.すなわちB−5−5付近の段差を撓曲崖とする根拠はない.前述したようにB−5−5付近は人工的に盛られた地形の可能性が高い.また,基本的に浸食面であるため詳細な議論には不適であるものの,池田層上面の構造もまた,断層の存在を示唆するような不自然なギャップを持たない.この地点で今後さらに調査を投入しても,断層変位の証拠が得られる可能性は低いと判断する.