(3)花粉分析

1) 分析試料

分析した試料は次の深度(m)の17層準である。

0.43‐0.46、0.60‐0.70、0.80‐0.90、1.08‐1.20、1.30‐1.40、1.50‐1.55、1.64‐1.73、1.73‐1.84、2.00‐2.10、2.10‐2.20、2.20‐2.26、2.26−2.31、2.31‐2.40、2.40‐2.48、2.48‐2.53、2.53‐2.58、2.58‐2.70

なお1.00‐1.08は量不足と貧化石であったため、深度の近い層準を代替しようとしたが、炭質物のみで貧化石のため2.00‐2.10を代替分析したものである。

2) 分析方法

@. 試料全量にKOHの10%溶液を加え、よく攪拌して80℃に設定した湯煎器で約30分加熱する。

A. 遠心分離器(2000回転/分)で5分間分離し、アルカリ液で溶け出したフミン酸を捨てる操作を数回以上繰り返す。

B.  試料に酢酸を加え80℃に加熱した後、酢酸を捨てて試料中の水分を除去する。つぎに無水酢酸と硫酸の9:1液を加え加熱した後除去し、試料中の多糖類を除く。

C. 夾雑物の多い試料では、ZnCl2の飽和溶液(比重2)を加えてよく攪拌した後、1時間遠心分離し、花粉を含む上澄み液をすくいとる。これに水を加えて遠心分離により花粉を含む試料を沈殿させ、2回水洗いする。

D.  SiO2の多い試料では、フッ化水素を加えて1昼夜ドラフト内に置いてSiO2分を除く。

E. 最終沈殿物を蒸発皿に入れて水を加え、10分後にうわ水を捨てる作業を数回繰り返し、細かな夾雑物を除く。

F. 水分を遠心分離器で除き、グリセリンゼリ−を加えて封入する。

作製したプレパ−トは400倍の光学顕微鏡で検鏡した。一般に花粉分析では、木本花粉を最低200個同定し、その間に視野に出現した草本花粉およびシダやコケの胞子をすべて同定する。しかし、今回は試料の量が不足していたことと、炭質物の濃集した貧化石層が多かったため、深度2.40m以深の4点をのぞいて木本花粉数は200個に達しなかった。その場合、試料全量中の化石をすべて同定した。花粉・胞子の産出率は木本花粉総数を基数として算定した。

3). 分析結果

分析結果はスペシーズチャート(巻末)と木本花粉組成図(巻末)、草本花粉および胞子組成図(巻末)、花粉・胞子総数中の木本花粉、草本花粉、胞子の割合(巻末)に示した。

検出された木本類は次のとおりである。

亜寒帯針葉樹:エゾマツ或いはアカエゾマツ、トドマツ、マツ属、グイマツ

冷温帯広葉樹:コナラ属、ニレ属、クマシデ属、クルミ属、トネリコ属、ナナカマド属、シナノキ属、ウコギ科、キハダ属、ハシバミ属、

その他の広葉樹:カバノキ属、ハンノキ属、ヤナギ属、ツツジ科

草本類は次のとおりである。

イネ科、カヤツリグサ科、キク亜科、タンポポ亜科、ヨモギ属、オミナエシ科、タデ属、ナデシコ科、アカザ科、ワレモコウ属、ギボウシ属、ガマ属、セリ科、マメ科、キンポウゲ科、カラマツソウ属、フウロソウ属、バラ科、アカバナ属、ホタルブクロ属

シダ類とコケ類は次のとおりである。

単溝型(ウラボシ科、オシダ科を含む)、ゼンマイ科、トクサ属、ヒカゲノカズラ科、ミズゴケ属

検出された化石は、時代が新しい割にはやや保存状態が悪く、比較的乾燥した酸化しやすい堆積環境であったと推定される。深度2.53‐2.58m、2.58‐2.70mの2試料をのぞいてシダ類の産出率が極めて高く、全体の60%以上を占めている。木本類ではエゾマツ/アカエゾマツとトドマツ、コナラ属、カバノキ属、ハンノキ属が多い。草本類はイネ科、カヤツリグサ科、ヨモギ属、ギボウシ属が多い。炭質物の濃集している層準は、深度0.6−1.1mと1.50−1.55mの層準で、野火が発生したか、ヒトによる干渉が考えられる。

木本花粉の産出をもとに下位から1、2、3の3花粉帯に区分した。各花粉帯の花粉群の特徴は次のとおりである。

花粉帯1(深度2.48−2.70m):本帯の特徴はグイマツを産することである。加えてエゾマツ/アカエゾマツが71〜82%と高率に含まれる。ほかにトドマツが10%前後含まれる。冷温帯広葉樹は低率のクマシデ属のほかは検出されない。最上部の試料をのぞき、木本類の全体に占める割合は90%以上で、草本類は極めて貧相である。

花粉帯2(深度1.20−2.48m):本帯の下半部ではエゾマツ/アカエゾマツが60%前後に達するが、上半部では減少し、かわってコナラ属が増加している。クルミ属(深度1.64m)とコナラ属(深度2.31m)がそれぞれ1層準だけ急増しているが、これは花粉塊として泥炭に堆積したためであり、これらの樹種が現地性であることを示している。ほかにカバノキ属、ハンノキ属も増加している。草本類はヨモギ属のほかに、湿原性のイネ科、カヤツリグサ科、ギボウシ属が比較的高率に含まれる。さらに、湿原に成育するガマ属、セリ科、ゼンマイ科が本帯で産出する。木本類花粉の全体に占める割合は低率で、単溝型シダ類とゼンマイ科が70%以上を占める。

花粉帯3(深度0.43−1.20m):エゾマツ/アカエゾマツとトドマツが増加し、かわって2帯で高率であったコナラ属、クルミ属、ハンノキ属などの広葉樹が減少する。単溝型シダ類はこれまで通り高率であるが、草本類は貧相になる。ギボウシ属、ゼンマイ科は上方へ減少する。しかし、木本類の全体に占める割合は増加ている。

4) 考察―花粉帯堆積期の植生、気候と時代―

花粉組成から1帯期には優勢なエゾマツ/アカエゾマツにトドマツ、グイマツを混じえた立木密度の高い亜寒帯針葉樹林が成立していたことが復元される。本帯期は花粉組成の一致から見て、現在のサハリン南部〜中部(五十嵐・五十嵐、1998:五十嵐ほか、2000)の森林に対比される。北海道では、最終氷期にグイマツが分布した(五十嵐ほか、1993)が、多くの地域で8000年前に消滅した。しかし、石狩平野では6000年前まで残存した(五十嵐、1993)。近年、道央の山地(五十嵐、2000)や道東(五十嵐、未公表)でも6000年前まで分布したことが明らかになっている。ただし、6000年前には冷温帯広葉樹のおもにコナラ属と共存している。コナラ属は北海道では多くの地域で8000年前に急増し始めた(五十嵐、1986)。従って、コナラ属と共存しない1帯期は8000年より以前まで遡る可能性がある。本帯期末にはヒメシダなどオシダ科の湿原性シダが急増しており、海面上昇の影響を受けて湿原が拡大したと考えられる。グイマツは本帯末で消滅した。当時は現在より寒冷な気候であった。

2帯期はハンノキ属、カバノキ属とコナラ属、クルミ属、ニレ属などの冷温帯広葉樹およびエゾマツ/アカエゾマツ、トドマツからなる針広混交林が湿原を取り巻く丘陵地に分布したと考えられる。湿原には多くの種類の草本類が分布した。中でもギボウシ属は旺盛に繁茂した。本帯堆積物には、2枚のテフラが含まれる。深度1.84〜2.00mに挟まれる給源不明のテフラは比較的厚く堆積した。降灰が湿原を乾燥させたためか、このテフラの上面からギボウシ属が増加し、他方ゼンマイ科が減少している。他方、深度1.50〜1.55mに分布するテフラの影響は見られない。気候は現在より温暖・湿潤な海進期であったと推定される。

3帯期には、2帯期に優勢だった針広混交林はエゾマツ/アカエゾマツ、トドマツを主とする針葉樹林に変遷した。同じ傾向は根室半島基部の落石岬でも認められ(五十嵐ほか、2001)ており、気候が寒冷化したことは明らかである。同時に海退の影響もあり、湿原は縮小し、かつ乾燥し始めた。湿原に繁茂したギボウシ属やゼンマイ科が急速に減少し始めた。かつ、2帯期より森林の被度が増加した。本帯期は古墳寒冷期と小氷期(AD1450〜AD1850年)を含む寒冷な時代(阪口、1984)と考えられる。

泥炭の堆積速度は、剣淵盆地と富良野盆地で0.6mm/年(五十嵐ほか、1991)である。一方、道東では海霧の発生により夏季の日照時間が短く、これが影響して落石岬湿原で0.3mm/年、歯舞湿原で0.16mm/年と上記の地域より低い。本地点では、0.4mm/年と落石岬湿原や歯舞湿原よりやや高いものの、他の地域に比べて堆積速度は低い。

北海道の植生は、道南をのぞいて亜寒帯針葉樹と冷温帯広葉樹の混交する汎針広混交林と言われている。しかし、多くの地域ではコナラ属(ミズナラ)優占にトドマツを混じえた混交林が発達し、エゾマツ/アカエゾマツが優勢に見られるのは、夏季比較的低温の道東地域のみである。今回、十勝平野では完新世初頭からエゾマツ/アカエゾマツとトドマツ優勢の森林が発達していたことが明らかになった。本地域に近い落石岬湿原における約5000年間の植生変遷は本地域とよく類似する。落石岬湿原ではTa−c1の降灰、エゾマツ/アカエゾマツとトドマツの増加が温暖期を挟んで2度見られる(五十嵐ほか、2001)。本地域では寒冷期の間の温暖期は認められなかった。試料の量を増やして、分析すれば同じ傾向が認められるであろう。

本コアの堆積物をみると、深度1.75−2.25mは腐植質シルトで、河川の氾濫などによりシルトが運搬されたことが考えられる。この時期は完新世の最温暖期に向かう時期で、降水量が増加したことが推定される。