(2)地質調査結果

1 地質層序

(1)旭断層,豊岡東断層,稲士別断層,茂発谷断層,新和断層,途別川断層,以平断層,明倫東断層,上更別断層

新第三系の大樹層,糠内層,新第三紀〜第四紀前期の池田層を基盤とし,その上位に河成段丘堆積物が累重する.

大樹層:根本・佐々(1933)により初めてこの名称が提唱され,鬼塚(1962)により再定義された.幕別台地の東部に局所的に分布する.層理に乏しい珪藻質シルト岩が卓越し,上部では頻繁に細粒砂〜粗粒砂を挟む.

糠内層:長尾・三谷(1960)により糠内砂岩層として定義され,山口・佐藤(1989)により再定義された.幕別台地の東部に分布し,幕別町新田付近では大樹層から整合漸移しているように見える.下部は塊状の砂岩勝ち砂岩シルト岩互層からなるが,しだいにリズミカルな細粒砂岩・中粒砂岩互層となり,最上部では頻繁に細礫岩と白色凝灰岩を夾在する.

池田層:池田層については岡(1982),松井・松澤(1985)などによりこれまでに多くの見解が示されているが,本報告では岡(1982),十勝支庁農業振興部(2000)による池田層定義にほぼ従い,池田層を大きく下部と上部にわけて示す.ただし十勝支庁農業振興部(2000)による池田層最上部については,本報告では池田層上部として一括する.また,付図3では下部・上部を含めて池田層として一括し,池田層中に夾在される凝灰岩(稲士別凝灰岩,猿別凝灰岩,千代田凝灰岩,芽登凝灰岩)とともに示す.池田層下部は幕別台地の東部から駒畠付近に広く分布する.シルト・細粒砂岩が卓越し,亜炭,凝灰岩および細礫岩を夾在する.上部は長流枝内丘陵,幕別台地,上更別,駒畠にかけて広く分布する.貝化石を夾在するシルト岩,砂岩,細礫岩互層から構成され,亜炭,凝灰岩を夾在する.

池田層には多数の凝灰岩が夾在されるが,本地域で広域的に追跡される特徴的な凝灰岩としては,下位から,稲士別凝灰岩,猿別凝灰岩,千代田凝灰岩,芽登凝灰岩が挙げられる.稲士別凝灰岩は池田層の最下部を成し,幕別台地東部から駒畠にかけて分布する.やや風化した黒雲母を大量に含む,流紋岩質火砕流堆積物である.層厚は最大50m前後である.ほとんどの地域では水中の二次堆積物の産状を示す.放射年代値として,柴田ほか(1975)により4.1±1.1MaのK−Ar年代,Koshimizu (1981)により3.7±0.1MaのFT年代,松井・松澤(1985)により2.8±0.7MaのK−Ar年代が報告され,年代の不一致が見られた.しかし,廣瀬・田近(1999)による新鮮かつやや発泡の悪い火山ガラスから4.0±0.4 MaのK−Ar年代が得られ,鮮新世前期の年代であると考えられる.猿別凝灰岩は池田層下部に夾在され,稲士別凝灰岩の上位に位置する.斑晶に極めて乏しい白色のガラス質凝灰岩であり,水中二次堆積物の産状を示す.Koshimizu (1981)により2.8±0.2Maの年代が得られている.千代田凝灰岩は池田層上部の比較的下位に夾在され,長流枝内丘陵南部および幕別台地北端部に認められる. 白色の流紋岩質火砕流堆積物からなる.Koshimizu (1981)により2.0±0.1MaのFT年代が得られている.芽登凝灰岩は,長流枝内丘陵西部から幕別台地西部,札内川東岸の台地などに広く分布する.層厚10m以上で灰白色〜黄帯白色を呈する.発泡した白色軽石を10〜20%前後含み,新鮮な黒雲母を有色鉱物として持つ.放射年代としてKoshimizu (1981)により0.9±0.1 MaのFT年代が,柴田ほか(1979)により0.96±0.10 Ma,0.75±0.38 MaのK−Ar年代が得られていたが,近年急速に発達したTK年代測定法により,500〜600ka前後の年代が得られ,その年代が大きく若返る可能性がある.芽登凝灰岩の年代は前述したように0.96Ma〜0.5Maにわたり大きくばらつく.0.5Ma前後の年代値はTL年代,0.96〜0.75Maの年代はK−Ar年代およびFT年代値である.一般に火砕流堆積物のK−Ar年代値測定時には試料のプレヒート時に脱ガスが不十分となり,年代測定値がばらつくことがある.また,上記の年代値が報告された1970年代〜1980年代初頭にはK−Ar年代法,FT年代法とも測定機器の精度や前処理技術の問題により,100万年より新しい年代の測定は困難であった(板谷・長尾,1988).実際に,柴田ほか(1975),松井・松澤(1985)による十勝平野の鮮新世〜第四紀初頭の地層に関するK−Ar年代値は,ばらつきが非常に大きい.一方,TL年代測定法は近年になって急速に発展した測定法であり,特に更新世中期〜後期の火砕流堆積物に関して,実際の層序と矛盾のない年代値が多く測定されている(例えば高島ほか,1992;中川・高島,1999).これらを考慮すると,芽登凝灰岩の年代値が50万年前後までさかのぼる可能性は否定できない.

Ma−t1面堆積物:Ma−t1面を構成する.下位より河成の礫層,白色粘土層,赤色粘土,ローム層およびテフラからなる.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる.しかし,完新世以前のテフラ,ロームの層準は部分的ないし完全に失われている場合が多い.

Ma−t2面堆積物:Ma−t2面を構成する.下位から,河成の礫層,白色粘土層,赤色粘土層,それらを覆うローム層およびテフラからなる.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる.しかし,Ma−t1面堆積物同様に完新世以前のテフラ,ロームの層準は部分的ないし完全に失われている場合が多い(図3−1−3−4).帯広空港以南では,ローム層中に,層厚数m以上におよぶ厚いSpfa 1テフラの二次堆積物が発達する(地点19:図3−1−3−7).

Ma−t3面堆積物:Ma−t3面を構成する.下位から,河成の礫層,白色〜赤色粘土層,それらを覆うローム層およびテフラからなる.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる.Toya〜Spfa 1の層準には,ロームのかわりに泥炭・粘土が発達する場合もある(地点13).完新世以前のテフラ,ロームの層準は部分的ないし完全に失われている場合が多い.

Ma−t4面堆積物:Ma−t4面を構成する.河成の礫層およびそれに重なる白色粘土層,それらを覆うローム層およびテフラからなる.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる.また,帯広市古舞(地点8)では,白色粘土層の直上に白色のガラス質テフラ(古舞テフラ:新称)が認められる(図3−1−3−4).しかし,一般に,完新世以前のテフラ,ロームの層準は部分的ないし完全に失われている場合が多い.

Ma−t5面堆積物:Ma−t5面を構成する.河成の礫層およびそれに重なる白色粘土層,それらを覆うローム層およびテフラからなる.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる.完新世以前のテフラ,ロームの層準は部分的ないし完全に失われている場合が多い.

Ma−t6面堆積物:Ma−t6面を構成する.下位から,河成の礫層,ローム層およびテフラからなる.テフラはKt−6より上位のテフラが認められる.

Ma−t7面堆積物:Ma−t7面を構成する.下位から,河成の礫層,ローム層およびテフラからなる.テフラはSsfaより上位のテフラが認められる(図3−1−3−4).

Ma−t8面堆積物:Ma−t8面を構成する.下位から,河成の礫層,ローム層およびテフラからなる.テフラはSpfa 1より上位のテフラが認められる.

Ma−t9面堆積物:Ma−t9面を構成する.下位から,河成の礫層,ローム層およびテフラからなる.テフラはEn−aより上位のテフラが認められる.

Ma−t10面堆積物:Ma−t10面を構成する.下位から,河成の礫層,層厚10cm以下のごく薄いローム層,および完新世テフラからなる.テフラはTa−d以新のテフラが認められる.なお,礫層上位の泥炭層(地点1)から,13,360±110yBP,13,520±80yBPのC14年代が得られた(図3−1−3−4).

Ma−t11面堆積物:Ma−t11面を構成する.下位から,河成の礫層,クロボクまたは森林土から構成され,テフラはTa−dより上位のテフラが認められる.十勝川周辺では,Ta−c前後より下位の層準で泥炭が発達する場合がある.音更町東旭(地点4)では,Ta−c直下から3,350±50yBP,直上から1,770±40yBPのC14年代が得られた(図3−1−3−4).また,後述のように,東旭地区で行われたボーリング調査により,段丘礫層直上から10510±110yBP〜11100±50yBPのC14年代が得られた.

Ma−t12面堆積物:Ma−t12面を構成する.下位から,河成の礫層,クロボクまたは森林土から構成され,テフラはTa−c以新のテフラが認められる.

Ma−a1面堆積物:Ma−a1面を構成する.下位から,河成の礫層,クロボクまたは森林土から構成され,テフラはTa−c以新のテフラが認められる.猿別川西岸の地点15では,礫層直上の腐植土から4,730±60yBPのC14年代が得られた(図3−1−3−5).

Ma−a2面堆積物:Ma−a2面を構成する.下位から,河成の礫層,クロボクまたは森林土から構成され,テフラはTa−a以新のテフラが認められる.現河床から数m前後の比高を持つ最低位段丘であり,猿別川流域で特に発達する(図3−1−3−4).

(2)弘和断層,朝日断層

新第三系の大川層,大樹層,糠内層,新第三紀〜第四紀前期の池田層を基盤とし,その上位に河成段丘堆積物が累重する.

大川層:鬼塚(1962)により生花苗層から分離,再定義された.更別村弘和のコイカクシュトープ川の両岸に分布し,やや凝灰質な泥岩・シルト岩からなる.

大樹層:更別村弘和のコイカクシュトープ川右岸に狭小に分布する.珪藻質・凝灰質の泥岩,シルト岩からなる.Koizumi (1985)のCoscinodiscus yabei帯〜Neodenticula kamchatica帯に属し,後期中新世後半〜鮮新統初頭の年代を示す.

糠内層:更別村弘和のコイカクシュトープ川右岸に狭小に分布する.砂岩・礫岩からなる.

Ma−t1面堆積物:Ma−t1面を構成し,上更別,弘和付近に分布する.下位より河成の礫層,白色粘土層,赤色粘土,ローム層およびテフラからなる.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる.しかし,完新世以前のテフラ,ロームの層準は部分的ないし完全に失われている場合が多い.

Ma−t2面堆積物:Ma−t2面を構成し.駒畠〜弘和にかけて広く分布する.下位から,河成の礫層,白色粘土層,赤色粘土層,それらを覆うローム層およびテフラからなる.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる.しかし,Ma−t1面堆積物同様に完新世以前のテフラ,ロームの層準は部分的ないし完全に失われている場合が多い.しばしば,層厚数mを越えるSpfa 1テフラの風成二次堆積物(古砂丘)が発達する(図3−1−3−7).

Ma−t4面堆積物:Ma−t4面を構成し,上更別付近,忠類村朝日付近に広く分布する.河成の礫層およびそれに重なる白色粘土層,それらを覆うローム層およびテフラからなる.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる(地点28:図3−1−3−7).一般に,完新世以前のテフラ,ロームの層準は部分的ないし完全に失われている場合が多い.

Ma−t5面堆積物:Ma−t5面を構成し,忠類村西当付近に分布する.下位から,河成の礫層,ローム層およびテフラから構成される.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる(地点29:図3−1−3−7).

Ma−t6面堆積物:Ma−t6面を構成し,忠類村公親付近に分布する.下位から,河成の礫層,ローム層およびテフラからなる.テフラはKt−6より上位のテフラが認められる.

Ma−t7面堆積物:Ma−t7面を構成し,忠類村忠類に広く分布するほか,更別村勢雄にも狭く分布する.下位から,河成の礫層,ローム層およびテフラからなる.テフラはSsfaより上位のテフラが認められる.

Ma−t8面堆積物:Ma−t8面を構成し,更別村勢雄付近に狭く分布する.下位から,河成の礫層,ローム層およびテフラからなる.テフラはSpfa 1より上位のテフラが認められる.

Ma−t9面堆積物:Ma−t9面を構成し,更別村勢雄付近に分布する.下位から,河成の礫層,ローム層およびテフラからなる.テフラはEn−aより上位のテフラが認められるが,En−aの分布限界に近いため,En−aテフラを欠くことも多い.

Ma−a2面堆積物:Ma−a2面を構成する.下位から,河成の礫層,クロボクまたは森林土から構成され,テフラはTa−b以新のテフラが認められる.現河床から数m前後の比高を持つ最低位段丘であり,コイカクシュトープ川流域で狭く分布する.

(3)更南断層

この地域では,基盤岩を成す新第三紀〜第四紀初頭の地層群は確認されなかった.段丘堆積物として,Hi−t1面堆積物,Hi−t2面堆積物,Hi−t3面堆積物およびHi−t7面堆積物が認められる.

Hi−t1面堆積物:Hi−t1面を構成し,更南付近の台地に狭く分布する.詳細は不明である.

Hi−t2面堆積物:Hi−t2面を構成し.更南付近の台地に広く分布する.下位から,河成の礫層,白色粘土層,赤色粘土層,泥炭層,それらを覆うローム層およびテフラからなる.テフラは,Toyaおよびそれよりも新らしいテフラが認められる(地点37:図3−1−3−8).しばしば,Spfa 1テフラの風成二次堆積物(古砂丘)が発達する(地点39:図3−1−3−8).

Hi−t3面堆積物:Hi−t3面を構成し.更南付近の台地の南方に広く分布する.堆積物の詳細は不明である.

Hi−t7面堆積物:Hi−t7面を構成し.更南付近の台地の北方に広く分布する.調査地域では露頭は得られなかったが,この面に連続する上更別のMa−t8面ではSsfa以新のテフラおよびロームからなる

(4)光地園断層

この地域は,南東セグメントの断層群および更南断層とは異なり,古第三紀の中の川層群と新第三系の尾田村層,豊似川層を基盤として,それらをHi−t1面堆積物以降の段丘堆積物群が覆う.

中の川層群:大樹町光地園から広尾町紋別,広尾町豊似を経て,広尾町市街から西側に広く分布する.分布域の西縁は,地質断層である広尾断層で豊似川層,尾田村層などの新第三系と接する.砂岩・泥岩(粘板岩)の互層から成り,広尾町豊似付近では玄武岩を伴う(平面的な広がりが不明なため,図示はしていない).

尾田村層:大樹町光地園付近に,NNW−SSE方向に狭く分布する.泥岩および珪質頁岩から成り,中の川層群とは広尾断層で,豊似川層とは整合漸移の関係であるようにみえる.

豊似川層:大樹町光地園から広尾町市街にかけて広く分布する.礫岩を主とし,砂岩を夾在するタービダイト層を成す.広尾町紋別〜豊似付近では,地質図スケールの広がりを持つ砂岩卓越層が分布するため,付図3に図示した.

Hi−t1面堆積物:Hi−t1面を構成し,大樹町光地園付近の尾根上に広く台地を形成する.十勝団体研究会(1978)などにより光地園礫層と呼ばれた層厚90mに達する礫層であり,砂,シルト,および粘土を夾在する.礫層基底の高度は広尾断層付近では270〜290m前後であり,南西側ほど基底高度が上昇するように見える.なお,最下部の礫層中には,白色の火山灰が夾在される(地点30:図3−1−3−8図3−1−3−9).角閃石,輝石を有色鉱物として含み,十勝平野の後期更新世としては珍しく,八面体の結晶形を持つ高温型石英が含まれる.しかし,風化が著しく火山ガラスは残存していない.

Hi−t4面堆積物:Hi−t4面を構成し,豊似川付近の新第三系分布域に残丘状に分布する.堆積物は露頭が無いため不明である.

Hi−t5面堆積物:Hi−t5面を構成し,広尾町カシュンナイ付近に広く分布するほか,紋別川から楽古川にかけての丘陵上に残丘状に分布する.露頭が少なく詳細は不明だが,カシュンナイの地点33では,段丘礫層上に泥炭,泥〜シルト,ロームが累重し,露頭上位にはSpfa 1テフラの風成二次堆積物が認められた.礫層より150cm上位の火山灰について火山灰分析を行ったが,火山ガラスが風化により失われており,詳細は不明であった(図3−1−3−8).なお,ローム層中にToyaに類似した厚手のバブルウォール型火山ガラスが認められる.

Hi−t6面堆積物:Hi−t6面を構成し,広尾町開進の紋別川右岸から広尾町紋別にかけて広く分布する.広尾町開進の地点31では,段丘礫層直上にKt−6テフラに由来する可能性がある二次堆積物およびSsfaと考えられる二次堆積スコリアが認められた.

Hi−t7面堆積物:Hi−t7面を構成し,広尾町開進から広尾町楽古にかけて断続的に分布する.段丘礫層上にSpfa 1テフラ,ロームおよび完新世テフラを載せている.ただし,Spfa 1テフラは純層として堆積していることもあるが,風成二次堆積物が厚く発達することも多い.

Hi−t8面堆積物:Hi−t8面を構成し,広尾町紋別に広く分布する.段丘礫層上にローム層を載せ,ローム層中にはひんぱんにSpfa 1テフラの風成二次堆積物が夾在される.

Hi−t9面堆積物:Hi−t9面を構成し,広尾町紋別,広尾町上野塚付近で発達する.段丘礫層上にはほとんどロームが認められず,クロボク,完新世テフラ(Ta−bなど)が載っている.Hi−t10面堆積物:Hi−t10面を構成し,広尾町紋別,広尾町上野塚,楽古付近で発達する.段丘礫層上を直接クロボク,完新世テフラ(Ta−bなど)が載っているが,クロボクと礫層の間にシルトが挟まれる場合もある.

Hi−a1面堆積物:Hi−a1面を構成し,広尾町紋別,上野塚,楽古付近で発達する.段丘礫層上を直接クロボク,完新世テフラ(Ta−bなど)が覆う.広尾町楽古の地点34では,段丘礫層とクロボクの間にシルトが挟まれる.地点34でのシルト直上のC14年代値は,1,950±70 yBPである(図3−1−3−8).

Hi−a2面堆積物:Hi−a2面を構成し,紋別川,楽古川などの河川沿いに点々と分布する.段丘礫層を薄いクロボクおよびTa−bテフラが覆っている.

2 変位地形と平均変位速度

十勝平野断層帯に関して,空中写真判読により抽出した変位地形の現地踏査を行い,現地で簡易レーザー測量機レーザーエースを用いて簡易地形測量を行った.また,国土地理院発行の50mメッシュ数値地質図を用いて地形断面図の作成を行った.以下,その結果について示す.

なお,南東セグメントではMa−t1〜Ma−t4面,南西セグメントではHi−t1〜Hi−t4面はいずれもToyaより古い地形面であり,これまで直接的に年代を決定する証拠(K−Ar年代,FT年代,TL年代などの放射年代値)は得られていない.また,地形面の開析も進んでいる.このため,以下に述べる地形変位量,地形面の年代,平均変位速度はあくまでも目安であり,活断層の活動度評価を行う上では厳密な意味を持たない(持ち得ない)ことをあらかじめ断っておく.

・旭断層

Line GP1では,Ma−t1面,Ma−t2面に西向きの撓曲崖が形成され,その比高は40mに達する(図3−1−3−10).また,Line GP1北方の音更町栄でMa−t3面に形成された撓曲崖は同面に比高20mの西落ち変位を与えているように見えるが,この地域でのMa−t3面は断片的な分布であるため,地形面対比の確度は低い.一方,音更町栄の長流枝内川左岸ではMa−t10面に西落ちの撓曲崖状の段差が(Line LG−1:図3−1−3−15),音更町東旭ではMa−t11面に西落ちの逆向き低崖状の地形が形成されている(Line LG−2:図3−1−3−14).Line LG−1での簡易測量では,西落ちの小崖は比高2mであった(図3−1−3−16a).小崖の東側はゆるやかな斜面を成し,その比高は5.5mに達するが,この斜面は長流枝内丘陵から北流する沢地形の出口付近にあるため,さらなる検討を要する.一方,Line LG−2での簡易測量の結果,西落ちの逆向き低崖の比高は2mであった(図3−1−3−16b).Ma−t3面の年代は不明だが,日本の段丘アトラスに従い年代を249kaと仮定すれば,平均変位速度は0.08m / kaとなる.また,地点1では礫層上位の泥炭から13,360±110yBP,13,520±80yBPのC14年代が得られているためMa−t10面を13.5 kaとすると,変位量2mの場合0.15 m /ka(変位量5.5mをとった場合は0.41m / ka)となる.一方,Ma−t11面では後述する十勝川温泉地区ボーリング調査により礫層直上から10.5〜11kaのC14年代が得られているためMa−t11面の年代を11kaとすれば平均変位量は0.18m/kaとなる.ただし,この地点では後述する群列ボーリングにより2mの地形変位が断層変位を表していない可能性があるため,この値はさらなる検討を要する.

なお,十勝川周辺の沖積低地を挟んで,幕別台地の北縁,稲士別川の西岸のMa−t4面には,西落ちの極小規模な撓曲崖が見られる.この撓曲崖は,旭断層のリニアメントの南方延長上に位置することから,旭断層が幕別台地北縁まで達している可能性がある.

・豊岡東断層

この断層については,空中写真判読では,Ma−t3面の開析斜面と考えられた.地質調査でも,活断層の存在を示すような変位地形は確認されなかった.また,この断層付近に露出する池田層にも,活断層の存在を示すような急傾斜帯は認められなかった(付図3).

・稲士別断層

この断層については,空中写真判読では,活断層の存在を示すような変位地形は認められなかった.地質調査でも,活断層の存在を示すような変位地形は確認されなかった.また,この断層付近に露出する池田層にも,活断層の存在を示すような急傾斜帯は認められなかった(付図3).

・茂発谷断層

Line GP2ではMa−t1面,Ma−t2面に西向きの撓曲崖が形成され,その比高は30mに達する(図3−1−3−10).一方,Line GP2北方ではMa−t1面に20mの西落ち変位が生じているように見える.日本の海成段丘アトラスにしたがいMa−t1面を340kaと仮定すれば,平均変位速度は0.06m / kaとなる.しかし,地形面の開析が進み断片的にしか残されていないため,この値は過小見積もりである可能性が残る.なお,茂発谷川沿いの低位段丘(Ma−t8面?)には,地形変位は認められない.

・新和断層

Line GP3では,幕別町新和付近でリニアメントを挟みMa−t2面に比高10m程度の西向き撓曲崖が認められる(図3−1−3−10).Line LG−5付近では,リニアメント東側に南北方向に延びるバックスラストも形成されている(図3−1−3−17).簡易測量では,リニアメント西側のMa−t2面の変位は15m以上,バックスラストの比高も13mに達する(図3−1−3−18).御大師川南方ではMa−t3面に南西落ちの撓曲崖が認められ,簡易測量(LG−6測線)による比高は6mであった(図3−1−3−18).Line GP3付近は段丘の開析が進み詳細は不明だが,LG−7測線ではMa−t3面を290 kaと仮定すれば平均変位速度は0.02 m / kaとなる.一方,茂発谷川から新和にかけては,沢地形となっているリニアメントをはさみ,Ma−t2面に20mの西落ち変位が生じている.Ma−t2面の年代を仮に300kaとすれば,平均変位速度は0.06m / kaとなる.

・途別川断層

Line GP2では,Ma−t8面に極軽微な東上がりの変位,Line GP3ではMa−t3面とMa−t4面の境に比高20m前後の東上がり変位が認められた(図3−1−3−10).断面図からは,Ma−t3面も東上がりの傾動しているように見えるが,Ma−t3面は全般に開析が進んでいるため,浸食により形成された斜面を見ている可能性もある.現地調査では,Ma−t8面の変位は東上がりのゆるやかな撓曲地形を,Ma−t3面,Ma−t4面を境する変位は比較的急な東上がり撓曲崖状の地形を示している(図3−1−3−19).簡易測量の結果,Ma−t8面(測線LG−3)では比高2.2mの東上がりの変位が,Ma−t3面,Ma−t4面境界のリニアメント(測線LG−4)では15mの東上がり変位が認められた(図3−1−3−18).測線LG−4ではリニアメント両側で地形面が異なるため平均変位速度の計算は行わない.Ma−t8面はSpfa 1を載せることから年代を40kaとすれば,平均変位速度は0.06m / kaとなる.

・以平断層

Line GP4では,以平断層は東上がりの撓曲として現れており,沢地形のため修飾されている可能性があるが,斜面の比高は30m程度はあると見積もれる(図3−1−3−11).現地ではMa−t1面に非常にゆるやかな撓曲が生じており(図3−1−3−20),LG−7測線における簡易測量では少なくとも25m以上の変位が認められる.仮に変位量を30mとし,Ma−t1面の年代を340 kaと仮定すれば,平均変位速度は0.09 m / kaとなる.

・上更別断層

上更別のLine GP6では,上更別断層はMa−t2面に生じた東上がりで比高10m程度の撓曲として認められる(図3−1−3−11).Ma−t2面を約300kaと仮定すると,平均変位速度は0.03m / kaとなる.また,Ma−t1面,t2面に形成されている西向き緩斜面が傾動によるものならば,平均変位速度はさらに大きくなり0.08 m / kaに達する場合もあるが,この西傾斜は駒畠付近のMa−t1,t2面の元々の傾斜方向である可能性がある.一方,後述するように,上更別断層の変位量は斜面の浸食により修飾されている可能性があるため,実際の平均変位速度はさらに小さくなる可能性が高い.

・弘和断層

弘和断層は更別村弘和付近では西傾斜の非常にゆるやかな撓曲斜面を成し(図3−1−3−22),Line GP7ではMa−t1面に生じた比高30m程度の西落ち撓曲崖として現れている(図3−1−3−12).弘和では撓曲の下盤側がMa−t2面であるため,変位基準が一致せず活動度の評価は困難である.一方,更別村の十五線〜十七線では,Ma−t2面に比高約10mの東上がり変位が生じている.Ma−t2面の年代を仮に300kaとすれば,平均変位速度は0.03m / kaとなり,C級下位の活動度となる.

・朝日断層

忠類村西当のLine GP8では,Ma−t5面に生じた東上がり変位は比高6m程度である(図3−1−3−12).Ma−t5面は段丘礫層上位にToyaを載せる面であることから年代を105kaとすれば,平均変位速度は0.06m / kaとなる.また,忠類村朝日付近では朝日断層はMa−t4面に西落ち比高10m前後の逆向き小崖として認められる.Ma−t4面の形成年代は不明だが,変位地形の比高がMa−t5面のそれより4m高いことは,地形変位の累積を示しているのかもしれない.

・更南断層

Line GP9では,更南断層は西側が落ちた逆向き撓曲崖として現れている(図3−1−3−13).Hi−t2面の東傾斜(0.9〜1度)を考慮すると,更南断層によるHi−t2面の変位は西落ち10m前後となる.Hi−t2面の年代を340kaと仮定すると平均変位速度は0.03m / kaとなる.

・光地園断層

光地園断層については,地質断層である広尾断層と重複している箇所については,新第三系(西側)と古第三系(東側)との間に尾根高の著しい不連続が認められる(図3−1−3−13).東郷(1983)により,Hi−t1(光地園面)に比高15m前後の西落ち変位の存在が指摘されていた.しかし,地形断面では,地形面の開析が著しいために,この比高が地形面の違いによるものなのか,断層変位によるものかを断定するのは難しい(図3−1−3−13).図3−1−3−25に,東郷(1983)により変位地形の存在が示されているLG−8の簡易測量断面を示す.この箇所では,Hi−t1面の東向き傾斜(1〜1.2度)を考慮しても,2m程度の段差が見られる程度である.この地点での変位の可能性については,次の,地質構造と断層露頭の項目において,地質学的調査の結果もあわせて検討することとする.

広尾町紋別のLine LG−9付近ではNNW−SSE走向の,西側に比べ東側が高い撓曲崖状の地形が見られる(図3−1−3−23).この地点は十勝団体研究会(1978)によれば尾田面(Hi−t8面に相当)とされていたが,Line LG−9における掘削調査によれば,段丘礫層を直接クロボクが覆うことが確認されたため,実際にはHi−t10面(または沖積面であるHi−a1面)であると判断される.この崖の走向はN6°Wであり,この付近でN20°W程度の走向を示す広尾断層のリニアメントと斜交する.また,地質調査により明らかとなった広尾断層の位置から100m前後東へずれている.崖の長さは300m程度であり,北側はしだいに比高を失いHi−t10面内で消滅(LG−10測線:図3−1−3−26),南側は豊似川がHi−t10面を大きく削り込んだ崖で終わっている.ちなみにリニアメントを切るこの崖は,その南東延長でNW−SEからN−S,NE−SWと方向が変化し,リニアメントと類似した崖が豊似川による浸食でも形成され得ることを示す.簡易測量により得られたこの崖の比高は2.3mである(LG−9測線:図3−1−3−26).仮にこのリニアメントが光地園断層による変位地形とすると,Hi−t10面の年代(Ta−dを欠く)を8kaと仮定した場合,平均変位速度は0.29m / kaとなるが,現時点ではこの値を光地園断層の変位とすることは危険であると判断せざるを得ない.

広尾町上野塚のLine LG−11付近でも,小扇状地を通過し西側に比べ東側が高くなっている,NNW−SSE走向の撓曲崖状の地形が見られる(図3−1−3−25).この崖およびその南方延長のHi−t9面ではいずれも比高2.2mの東上がり高度差が検出された(Line LG−12:図3−1−3−25).しかし,後述する群列ボーリングによれば,このリニアメントは新第三系豊似川層上に位置し,地質断層(広尾断層)と一致しない.また,このリニアメントは扇状地の100m程度北でHi−t5面と考えられる地形面を通過しているが,簡易測量の結果この地形面にはリニアメントを挟んで高度差は存在しなかった(LG−13測線:図3−1−3−25).上野塚地区のリニアメントについても,現時点では断層変位以外(河川の浸食作用等)による可能性が残されている.

広尾町楽古の水路(地点35付近)における東上がりの崖は,現地調査によれば,水路の東側が西側に対して1〜2m程度高くなっているものの,水路からさらに東に数m〜10m程度離れた雑木林では水路西側と同程度の標高となっていた.また,水路東側の高まりは,水路を切って楽古町野塚から楽古へ向かう道路(十二線)から北側では全く認められなかった.さらに水路は,広尾断層の伏在部から150m程度東にずれている.これらの事実は,水路両側の標高差が人工地形である可能性を示しているが,今後さらなる検討を要する.

3 地質構造と断層露頭

本調査では,完新世〜後期更新世の段丘堆積物を明らかに切断し変位させるような断層露頭は確認できなかったが,中期更新世の地層に生じた撓曲変位,および段丘礫層が断層リニアメント付近で数度程度傾いている産状は後述するいくつかの地点で確認できた.

旭断層では,長流枝内丘陵で一般に水平〜10°程度の傾斜を示す池田層上部層が,東旭地区の撓曲地点において西落ち55°で急傾斜することが確認された.旭断層のリニアメント上に位置する産業廃棄物処理場(地点3)では,東落ち50m以上におよぶ撓曲が中期更新世の芽登凝灰岩に生じている産状が観察された.処理場での詳細調査は地権者に拒否されたため詳細は不明である.しかし,芽登凝灰岩の年代が0.96Ma〜0.5Ma前後まで大きくばらつくことを考慮しても,旭断層は少なくとも中期更新世以降も活動していたと考えられる.旭断層付近での芽登凝灰岩の垂直変位量は地表地質調査の結果60m程度と考えられるので(付図3),旭断層の中期更新世以降の平均変位速度は0.06m / ka〜0.12m / kaとなる.

幕別台地では,山口・佐藤(2000)により,茂発谷川において池田層が急立していることが示された(地点9:図3−1−3−28).この急立帯は,本調査により示された新和断層によるリニアメントと一致し,本調査でも部分的ながら急立帯の存在が示された(付図3).

途別川断層では,本調査により芽登凝灰岩より上位の池田層上部が西落ち10°で傾斜していることが見いだされた(地点5:図3−1−3−29).この傾斜帯は,空中写真判読により愛国〜南愛国にかけて見いだされた西落ちの撓曲(傾動)地形の北方延長に位置している.愛国〜南愛国では,撓曲している地形面およびその西方の平坦な地形面はいずれもSpfa 1直下にKt−3,Kt−1を伴い,いずれもMa−t8面に相当し,形成時代にギャップがあるようには見えない.途別川断層はKt−3(50ka)以降にも活動し,地形面に撓曲(傾動)を与えていると考えられる.

新田牧場東方の御大師川では,糠内層が新和断層リニアメント通過地点付近で西落ち35〜40°から,60〜70°へ急立することが確認された(付図3).この急立帯は,新和断層の活動により形成されたと考えられる.猿別川西岸でも同様に,幅数百mにおよぶ池田層最下部の急立帯が存在し,稲士別凝灰岩,猿別凝灰岩の傾斜は南西落ち40〜50°に及ぶ(地点14).しかし,猿別川西岸のMa−a1面には西落ちの地形変位は全く認められない.この地点より南東では新和断層による地形変位は認められないため,このことが新和断層がMa−a1面形成後に活動していないことを示すのか,それともこの地点では新和断層が活断層ではなくなっていることを示すのか,を判断することは現状では困難である.

上更別断層については,地質学的情報は少ない.しかし,猿別川東岸に延びる上更別断層の崖を切るいくつかの沢では池田層の傾斜はいずれも10°前後の西落ちであり,旭断層,茂発谷断層などのような,地質断層の存在を示すような基盤の急立帯は認められない.上更別付近の砂利採取地(地点25)では,上更別断層のリニアメント上に位置する西傾斜の斜面の断面が露出している.この地点では段丘礫層上面にはごくわずかな西傾斜(最大でも0.4〜0.8度程度)が認められるのみである.この傾斜は,十勝平野における扇状地・扇状地起源の段丘の平均傾斜(0.3〜0.6度)と大差ない.斜面自体は,礫層より上位のローム層・テフラ層(Kt−6付近〜Spfa 1の二次堆積物層準から上位)が西側ほど大きく浸食されることにより形成されている(図3−1−3−30).これらは,上更別断層が実際には存在しないか,または当初想定されたよりも変位量の小さい活断層である可能性を示唆する.

更南断層付近では,露出が乏しいため,地質構造の検討は困難である.しかし,地点38において,段丘礫層がHi−t2面の一般的な傾向(ゆるやかな東傾斜)と異なり,西にわずかながら傾斜していることが観察された.これは,少なくとも,Hi−t2面形成以降にも更南断層が活動していたことを示す.

東郷(1982),活断層研究会(1980;1991)による光地園断層は,そのほとんどの部位を地質断層である広尾断層と共有する.広尾断層は少なくとも豊似川層堆積以降に正断層として活動したことは明らかである.しかし,これまでの地形地質調査では,リニアメントに沿って分布する,風隙の連続,尾根高度の不連続,直線的な沢は広尾町開進以南の地域では広く認められるが,開進〜大樹町光地園にかけてはこうしたリニアメントも認められない.図3−1−3−31に,大樹町光地園における,光地園断層付近の地質踏査図を示す.この付近では,東郷(1982)により,光地園面(Hi−t1面)に15mの東上がり変位が生じているとされている.地質踏査の結果,Hi−t1面を構成する段丘礫層(光地園礫層)の基底面は,パンケタイキ川とペンケタイキ川に挟まれた稜線では285〜290m前後であり,断層リニアメントを挟んで比高に東上がりの食い違いは認められない.また,広尾断層の地質断層露頭は広尾町開進で確認されたが,堅く固結しており,破砕帯は成していない.さらに,光地園地区の北部,東郷(1982)によりグラーベン状の地形変位が存在するとされた地点は実際には,南北から台地上へ延びる沢地形の谷頭に接する地形面上に形成されたスプーンカット状の凹地である(図3−1−3−32図3−1−3−33).この凹地の断面では,Hi−t1面の上部を構成するテフラ・ローム層をほぼ完全に欠き,礫層を直接森林土・クロボク,ないし極薄いローム層が覆うのみである(図3−1−3−34).これは,この凹地が断層変位ではなく,谷頭部で礫層上面から地下水が抜けることによるパイピングで形成されたことを示す.少なくとも光地園付近では,“光地園断層”が存在しない可能性が高い.

一方,開進以南では,広尾断層沿いの丘陵には先に述べた多くのリニアメントが存在する.しかし,これらのリニアメントは広尾断層付近に限らず,その両側を構成する新第三紀層,中の川層群中にも存在し,特に豊似川層の岩相境界(礫卓越部と砂岩卓越部)には地質構造と走向を一にする直線的リニアメントが存在する.これらのリニアメントは,岩相の違いを反映した組織地形である可能性もある.この場合,開進以南で比較的古い地形面(Hi−t5面など)に地形変位が存在しないことも,断層変位そのものが存在しないことで説明可能である.

光地園断層に関しては,活断層である可能性を否定する証拠も多く存在する.この問題に決着をつけるためには,断層リニアメント上の“変位地形”の可能性がある地点について,より詳細な群列ボーリングおよびトレンチ調査が必要となろう.