石狩低地は地質構造的には西北海道構造区の東部に属し,さらに中央北海道構造区への移り変わりの部分と位置づけられる.構造発達史的には後期中新世以降において,千島弧外帯の西進により中央北海道構造区の南部が西へ弧状に突出したことと,それに対する西北海道構造区の抵抗・反作用(特に樺戸山地の東への圧縮・突き上げ)によりもたらされ,鮮新世以降はこれらの構造運動に日本海東縁部を主軸としたユーラシア(アムール)プレートの東方への圧縮の運動が付加しているとみなされる.
本低地の大局的な地質構造は重力分布からとらえることができ(図3−1−4−1),周辺産地が相対的に高重力であるのに対して低重力をなしている.このことは,本低地では新第三紀〜第四紀の堆積岩類・堆積物が厚く累積しているのに対して,周辺山地ではより高密度の先新第三系が地表付近に分布または浅在しているためと判断される.石狩低地と茂世丑・由仁・安平低地とは,馬追丘陵〜岩見沢丘陵がわずかに高重力を示すことにより区分される.さらに,石狩低地内は重力分布に地域的な差異が見られるが,特に長沼低地,岩見沢西方地域(幌向・篠津原野)および札幌東部・当別地域が相対的な低重力いきを示すことが注目される.由仁・安平低地より日高沿岸部にかけて顕著な低重力域(浦河沖で約−200mgal)が存在しており,これは日高山脈地域が顕著な高重力域(最大+137mgal)であることと好対照をなすが,これらの地域が激しい地殻変動(地殻の衝突・めくれ上がりによる山脈の形成,トラフ状堆積盆の形成)を受けた反映である.なお,馬追丘陵については,重力的な高まりと地形的な高まりの間にずれが生じているが(図3−1−4−2),このことはV.1.2の文献の項で述べたように地塁的な下部構造とスラスト的な上部構造の二階建て構造が存在するためと判断される.
馬追丘陵は北方に続く岩見沢・栗沢丘陵を含めて,全体として西へ弧状に屈曲し,地質構造的には右雁行状の配列を取る4つの構造単元(セグメント)−南部・中部南・中部北(馬追山背斜)・北部(栗沢・岩見沢背斜)−により構成されており,これらの構造単元は地形単元ともほぼ一致している.これらの構造単元は西へのスラスト(衝上断層)運動に付随するものではないかとの指摘が古くからなされてきたが(吾妻,1961a;bなど),そのことは近年の石油資源探査に関連する物理探査・ボーリングの結果によっても証明されている(V.1.2文献調査).
地質の概略については図3−1−4−2に示した.詳細な説明は省略する.