3−1−1 活断層に関する研究史

日本において初めて活断層が注目されたのは1960年代である。アメリカ、ニュージーランドでサンアンドレアス断層、アルパイン断層と言った大規模横ずれ断層が発見され、国内でも活断層の調査が進んだ結果、中央構造線、阿寺断層、花折断層など日本を代表する第四紀の主要断層が見いだされた。

一方、関東地方は首都圏を含む地域でもあり、古くから地形・地質の研究が行われてきた地域である。しかし、第四紀における地殻変動の様式や活構造の存在についての研究は1970年代以降である。1970年代関東地方における大地震が懸念されるようになり、地震予知や地震災害に対する対策が行われるようになった。その結果、水準測量や三角測量によって知られる地殻の動きや活構造(特に活断層)の存在に関心がもたれるようになり、1973年には関東地方の地震と地殻活動に関与するシンポジウムが開かれた。この中で、堀口(1973)は地形面や洪積層の変位から関東平野西部における第四紀地殻運動のパターンについての考えを述べている。一方で関東平野の第四紀地殻運動をプレートテクトニクスから解釈する試みも盛んになり、貝塚(1974)は関東造盆地運動の単位となる幾つかの造盆地の隆起沈降をプレートテクトニクスから説明した。これと平行して、東京都防災会議は、都立大や東大地震研究所等の研究者に委託し、関東地方における活構造の調査を行った(東京都防災会議;1974、1975,1977)。この調査から関東平野周辺の活断層の存在が明らかになり、その変位量や変位の向きが調査された。さらに、関東地方周辺の活断層の存在が明らかになり、その変位量や変位の向き等も調査された。

本報告書に関する平井断層、神川(櫛挽)断層が活断層として報告されたのは松田(1974)が最初である。松田(1974)によれば、平井断層は群馬県藤岡市向平から金井、保美、新宿、小平を通り、美里村の円良田付近まで延び、断層線は向平〜金井、保美で段丘を切り、神流川東方では第三系と三波川変成岩類の境界を通過する。断層線の延長は約17km、一般走向N60゜Wであるが、垂直変位は向井、金井付近では南東落ち、保美以南では北東落ちとなる。垂直変位量は向平の段丘面では最大約13m、下位の段丘面では約10mであるが保美付近の段丘面は1〜2mであり丘陵の稜線は一様に50〜200mの左ずれ変位を示していることから左横ずれ断層とした。

また、櫛挽断層は古都から上里村植竹を通り藤岡市本郷より西平井まで伸び、総延長は下郷から西平井の西方までの23kmで一般走向N70゜W南西落ちで垂直変位量は台地上で最大約3mとした。さらに両断層の活動度にも触れB級と判定した。

この報告以後、平井、神川(櫛挽)断層に触れたものは東京都防災会議(1974,75,77)、松田博幸ほか(1977)、多田(1983)、YAMAZAKI(1984)、杉原(1989)がある。

平井、神川両断層の最も大きな特徴は両断層の活動時期、最終イベント、活動周期に触れられたものはほとんど無く、断層露頭の報告についても杉原(1989)のみであることである。さらに、断層のトレンチ調査についても全く行われていない。

その中で平井・神川断層の活動時期に触れたものは杉原(1989)が唯一である。杉原(1989)は吉井町中原において平井断層の断層露頭から平井断層の活動時期を示す衝上断層を観察し、平井断層はチョコレート色ローム層の形成過程に活動し、チョコレート色ローム層中の姶良Tnテフラ(AT)、さらに上位の浅間褐色軽石(BP)の年代から、断層の活動時期を2万年前と推定した。

一方で平井、神川(櫛挽)断層について地形地質等から断層の特徴を述べたものに松田博幸ほか(1977)、YAMAZAKI(1984)、杉原(1989)がある。

松田博幸ほか(1977)は東京防災会議(1974,1975)を受け、更に関東の内陸性浅発地震に関する基礎資料作りを目的として関東平野とその周辺山地について構造性線状地形の調査を行った。その結果、平井断層については地表付近では逆断層または衝上断層、左横ずれ断層またはその可能性のある断層とした上で具体的には、多くの谷や丘陵の稜線は左にずれ変位(50〜200m)をしている。上下変位は保美以東では北東低下に変わる。西端近くの向平付近では上下変位は上位の段丘面では最大13m、下位の段丘面では約10mである(いずれも南西側低下)。保美付近の段丘面は1〜2mであると報告した。

また、YAMAZAKI(1984)は関東地方北西部の活断層を関東盆地の沈降と隆起という構造運動に関連づけて説明をおこなった。これによると平井、神川断層の特徴として、

活断層は逆断層で横ずれ成分につては不明瞭であり、活動度はBまたはC級である。

2.垂直方向の断層の動きについては断層の南西、北東、両側で上昇が認められ、古いタイプの断層は山麓線に沿った地域で発達している。

3.基盤の不連続は必ずしも活断層によるものではない

と報告した。

さらに杉原(1989)により向平南東方で平井断層と直交する方向の断層が発見され、主要断層の左ずれに伴う副次的断層とする考えが示された。

一方、物理探査により、断層の特徴を述べたものに多田(1983)がある。多田(1983)は重力異常により基盤構造と活断層の関係について考察し、櫛挽(神川)断層と深谷断層の対比を行った。その結果、基盤での変位量は櫛挽断層の方が深谷断層より大きい、地表変位量は深谷断層が櫛挽断層より大きい、変位速度も深谷断層の方が櫛挽断層より早いという結果を得た。このことより、深谷断層の方が櫛挽断層より新しくかつ活動度が高いこと、あるいは、同じ古さなら古い時代では櫛挽断層の方が活動度が高く新しい時代では深谷断層の方が活動的であると結論づけた。

櫛引(神川)断層は、1975〜1979年に行われた科学技術庁特別研究促進費「平野部における活断層探査研究手法および活断層の活動度に関する総合研究」のモデルフィールドの一つとして選ばれ物理探査が精力的に行われた(垣見ほか1981、河村ほか1981、建設省国土地理院地殻調査部1981、渡辺ほか1981、加野・渡辺1986など)。これによりデーター収録技術が向上し、物理探査により地質構造がある程度明らかにされた。しかし、櫛挽断層の活動度や活動周期については言及されてていない。