3−1−3 神川断層の総合評価

以上神川断層の調査結果について述べ、次いで地区毎の断層の性状,神川断層の分布について解析を行ったが、以下に神川断層の総合評価を行う。

すなわち、今回の群馬県内の神川断層については藤岡市南部域が中心でありしかも庚申山丘陵南縁とその延長部が主体となっている。以下に、まずこれまで判明した神川断層の性質について箇条書きにまとめる。

@  庚申山丘陵南縁とその延長部を合わせて約1.2qの直線状の線状模様が確認され、断層崖に相当する。

A  庚申山丘陵南縁から北側へ約200m及び約500m付近には、それぞれ南縁線状模様に平行な直線状のそれらが東西方向に延びて顕著な遷急線を形成しており、前者は吉井層と板鼻層との地層境界に相当し、後者は吉井層中ではあるが礫岩卓越層との地層境界に相当する。ただし、岩相の違いによる差別侵食線の可能性が高いとは言うものの、断層線の可能線も否定できず、庚申山丘陵の残丘を形成した古い断裂系が重複して存在する可能性もある。

B  庚申山丘陵南縁の東延長の本郷1地区での諸調査と同西端矢場1地区での諸調査ならびに更に西側延長の浅層反射法弾性波探査結果を総合すると、東西方向に発達する線状模様はまさしく神川断層に相当する。

C  神川断層の実体は、まず大きくは関東平野に中央部の東京湾に端を発する北西−南東方向に延びる東京湾北部断層・東京湾北縁断層,荒川断層・綾瀬川断層,平井・櫛挽断層及び深谷断層の断層系が断続的且つ平行に配列し、これらは関東山地と関東平野とを画するこの十数万年前以降続いている関東造盆地運動の沈降主軸に相当する位置を占める。特に、首都圏の東京湾北部断層・東京湾北縁断層,荒川断層・綾瀬川断層などは、江戸時代の数回にわたる高マグニチュードの直下地震の震源となった地震断層の可能性が高く高角度の縦ずれ成分ならびに左水平ずれ成分を持つ可能性が高いとされている(松田時彦・金子史朗・阿部勝征・杉山雄一・溝上恵各氏)。

D  深谷断層,平井・櫛挽断層付近では、1931年西埼玉地震(M7)が発生し、死者16名・全壊家屋206戸などの被害を生じたが、阿部勝征氏(東大地震研)によると、東西方向の走向で南に急斜する震源断層(10q×20q)に沿って、左ずれを生じたとされている。

阿部氏は、その位置から見ても(南3qに中央構造線が通る)、その延長部が首都に向かって延び、地下に潜在している可能性を指摘された。(金子史朗氏)

E  このように、平井・櫛挽断層の首都圏に占める活断層としての重要性は非常に高いものがあり、これらの性状を明らかにすることは意義深いものがある。ただし、西埼玉地震の例に見られるように、確実度T,活動度B・C級で地形・地質の証拠が少なく歴史時代の記載が殆ど無い状況では、これらの存在を明らかにすることは非常に困難を伴う。

F  本郷1地区・矢場1地区での諸調査ならびに庚申山丘陵南縁の西側延長の浅層反射法弾性波探査結果により、東西方向に発達する線状模様はまさしく神川断層に相当することが判明した。すなわち、庚申山丘陵の東西両端共表層では落差2m以下程度で基盤の第三紀層に至っては累積のずれが恐らく10mを越える高角度の正断層であることが予想されるに至った。以下2地区に分けて詳細を述べる。

G  本郷1地区では、神川断層は仮に線状模様部が主要部であるとして地質構造を考えると、地表ではBk−1孔とBk−2孔との間の段差付近を通り、Bk−2孔の第三紀層直上の黄褐色を呈する砂礫層付近あるいは第三紀層泥岩擾乱部そのものを通って斜めに南側に延びる正断層の公算が大きい。すなわち、Bk−1孔とBk−2孔とは地表では神川断層を挟んでいて下盤と上盤の関係にあって第四紀堆積物のずれが認められるが、断層が南傾斜であるために深部では第三紀層泥岩・シルト岩がほぼ水平の旧地形面を示し同じ下盤に属するものと思われる。

このことは、浅層反射法弾性波探査結果にも反射パターンが現れており、ほぼ断層に沿った斜めの不連続パターンが認められ、また地表に向かって凸の反射パターンの断層運動による上盤の陥没と同時に隣接上盤地塊が上昇を生じて土塊の収支が均衡したと考えると一つの説明理由になる。

さらに、高密度電気探査結果もこれらの結果に整合しており、断層を挟んで対照的な比抵抗分布を示し、各構成物質の違いによる微妙な比抵抗値の差が歴然としている。

H上記のように、神川断層の性状が次第に明らかになりつつあるが、未だ落差と活動年代と活動間隔が明らかとなっていない。したがって、今後は第四紀堆積物の累積が確実に行われて層序が明瞭となる鍵層の欠如が少なく、安定した堆積環境を提供する旧沼沢地のような場所でトレンチを行い、これらの不明点を明らかにすることが望ましい。