3−3−1 被害地震

調査地域とその周辺では,表3−6に示した被害地震が発生している。これら地震の震央を図3−8に示す。

1586年の地震は一般に天正地震又は白山地震と呼ばれている。被害は白川谷,高岡市,大垣市,長島町から京都や奈良にまで及び(宇佐美,1987),また舞台峠付近にも被害があった(粟田ほか,1986)。震源域は諸説あるが,白川断層が活動(恒石,1980),養老断層に関連(飯田,1980),本震と余震が2箇所で発生(八木ほか,1983)したなどの考えがある。

1826年の地震は,牧ヶ洞断層の北東約3kmに位置している。高山の北東方のみ強い揺れがあった(宇佐美,1987)。

1858年の飛越地震は,跡津川断層の活動(右横ずれ,北側隆起)によると考えられている(宇佐美,1987)。被害は跡津川断層付近に多く,御母衣断層に沿った荘川流域も山崩れや民家の倒壊が発生している。

1906年の萩原町に発生した地震の震央は萩原西断層の東約1.5kmに位置するが,河田ほか(1988)では萩原断層の活動によって生じたものかどうかは不明である。

岐阜県中部地震は,恒石(1976)によって余震分布域に沿って断層破砕帯が存在することから畑佐断層として,本地震を発生させた断層としている。しかし,畑佐断層は畑佐峠付近から2本に分岐していると考えられ,リニアメントの位置などから畑佐断層を本地震によって地表に現れた断層と特定するには問題がある(脇田ほか,1995)。

表3−6 調査地付近に発生した被害地震(宇佐美,1987及び宇津,1995から編集)