5−2 栃窪北ピット(TN−1,TN−2)調査結果

栃窪北の真野川左岸おいては,L1 面上にLB リニアメントが判読され,その南方延長部では,断層推定位置を横断してA1 面が分布している(図5−6−1)。このことから,同地点における表層堆積物の分布の確認及び断層の表層部における形態の確認を目的として,まず,ピットTN−1を掘削したが,断層の低下側における地層の分布状況を十分には観察ができなかったことから,さらに,同ピットの北側でピットTN−2を掘削した(図5−6−1図5−6−2)。ピットTN−1は東西約10m×南北約10m×深さ約3.5m,ピットTN−2は東西約10m×南北約2m×深さ約2mである(図5−6−2)。ピットTN−1の法面スケッチを図5−7−1図5−7−2図5−8−1図5−8−2図5−9に,ピットTN−2の法面スケッチを図5−10図5−11−1図5−11−2図5−12−1図5−12−2に示す。また,断層が認められたピットTN−1の南北両側の法面及びピットTN−2の南北両側の法面をまとめて図5−13に示す。

両ピットの地層構成は同じであり,下位より,礫層,礫混じり褐色砂質シルト層及びそれを覆う土壌からなる(図5−7−1図5−7−2図5−10)。礫層は,下位のマトリックスが砂質で砂層の薄層を挟在する礫層及び上位のマトリックスが泥質でやや腐植質な礫層からなる。

ピットTN−1の南側及び北側両法面の東側において,東西幅約1m間の礫に配列の乱れがみられ,下位の砂質礫層の上位の腐植質礫層との境界に東側低下の断層変位が,上位の腐植質礫層の上面に鉛直約85cm〜約1.1mの東側が低い鉛直高度差が認められる(図5−8−1図5−8−2図5−9図5−13)。また,ピットTN−2の南北両側の法面においては,礫層上面に鉛直約90cm〜約95cmの東側低下の断層変位が認められる(図5−11−1図5−11−2図5−12−1図5−12−2図5−13)。

ピットTN−1の南側及び北側いずれの法面においても,断層の西側の礫層上面は緩い背斜状を示し,同礫層を覆う礫混じり褐色砂質シルト層は,層厚が断層の西側で厚く,背斜状を呈する礫層上面を埋めて堆積している(図5−7−1図5−7−2)。また,ピットTN−2の南北両側の法面においても礫混じり褐色砂質シルト層の層厚は断層の西側で厚くなっている(図5−10)。このことから,礫層堆積後の断層活動により礫層上面が背斜状に変形し,その後に,礫混じり褐色砂質シルト層がこの背斜状を呈する礫層の上面を埋めて堆積した可能性が考えられ,断層活動は,褐色砂質シルト層には変形が認められないことから,礫層堆積後で礫混じり褐色砂質シルト層堆積前に発生したことになる。この場合,礫層上面にみられる背斜状の形態は,礫層を覆う地層には認められないことから,この活動とそれ以降の活動とでは,断層の変位及び変形のセンスに差異があることになる。しかし,この断層活動は,礫層とその上位の礫混じり褐色砂質シルト層との構造の差が明瞭なものではないことから,確実なものではなく,礫層上面にみられる背斜状の形態は,堆積構造である可能性もある。

両ピットには,礫層及び礫混じり褐色砂質シルト層を覆って,下位より黒色土壌「イ」,灰色礫質シルト層が下位層と整合的に累重しており,さらに灰色礫質シルト層の上位には褐色ないし黒色土壌が分布している(図5−7−1図5−7−2図5−10)。最上位の褐色ないし黒色土壌中には,やや断続的ではあるが2層の比較的連続の良い黒色土壌が挟在しており,2層のうち,下位の黒色土壌はピットTN−2には分布せず,両ピットに分布し,連続が確実な上位の黒色土壌を「ロ」と呼ぶことにする。

ピットTN−1では,下位の黒色土壌「イ」及びその上位の灰色礫質シルト層は階段状あるいは撓み状に鉛直約80cm〜約90cm東方へ低下しており,この構造は下位層と調和的であり,構造の差異は認められない(図5−8−1図5−8−2図5−9図5−13)。その上位の黒色土壌「ロ」も,下位の黒色土壌「イ」及び灰色礫質シルト層と調和的に東方へ低下しており,下位層との顕著な構造的差異は認められないものの,黒色土壌「ロ」と黒色土壌「イ」との間の地層のうち,下半部の土壌は東方に向かって若干厚くなっているようにもみえる(図5−8−1図5−8−2図5−9図5−13)。

ピットTN−2においては,黒色土壌「イ」以上の各層はいずれも東落ちの断層変位を受けていることが確認され,南側法面では逆断層的であり,北側法面では正断層的である(図5−11−1図5−11−2図5−12−1図5−12−2図5−13)。黒色土壌「イ」及びその上位の灰色礫質シルト層の鉛直変位量については,断層近傍における撓み状の低下量を含めると黒色土壌「イ」では約90cm〜約1.2m,灰色礫質シルト層では約70cm〜約75cmとなり,下位層の鉛直変位量に比べ顕著な差はなく,変形等の構造にも差異は認められない(図5−11−1図5−11−2図5−12−1図5−12−2図5−13)。これに対し,灰色礫質シルト層の上位に分布する黒色土壌「ロ」については,断層の隆起側では連続的に確認されていないが,南側法面の断層隆起側の一部で確認され,その鉛直変位量は約40cmであり,灰色礫質シルト層以下の地層にみられる鉛直変位量に比べて明らかな不連続が認められる(図5−11−1図5−11−2)。

これらのことから,灰色礫質シルト層と黒色土壌「ロ」との間に断層活動の可能性が考えられ,この場合,断層活動層準は灰色礫質シルト層と黒色土壌「ロ」との間に挟在する褐色土壌中となる。ただし,黒色土壌「ロ」と灰色礫質シルト層以下の地層とに顕著な構造的差異が認められないこと,黒色土壌「ロ」と灰色礫質シルト層との間に断層活動を直接反映した現象が認められないこと,黒色土壌「ロ」は断層の隆起側では一部で確認されたのみであり,同土壌の鉛直変位量は確実ではないことから,このイベントも確実なものとは言えない。

黒色土壌「ロ」については,上述のようにピットTN−2において,明らかな断層変位が確認され(図5−11−1図5−11−2図5−12−1図5−12−2),黒色土壌「ロ」形成以降における断層活動があったことは確実である。その層準は,黒色土壌「ロ」の上面,すなわち黒色土壌「ロ」の上位の褐色土壌の基底面も変位を受けていることから(図5−11−1図5−11−2図5−12−1図5−12−2),この褐色土壌中に存在する。

また,ピットTN−1の南側法面で採取した両黒色土壌の14C年代測定結果によると,黒色土壌「イ」が8280±80y.B.P.の値を,黒色土壌「ロ」が3520±80y.B.P.の値を示す(図5−8−1図5−8−2)。

以上のように,栃窪北の本地点においては,@黒色土壌「ロ」形成以降すなわち約3500y.B.P.以降における断層活動が確認され,それ以前の断層活動として,A黒色土壌「ロ」と灰色礫質シルト層との間,すなわち約3500y.B.P.から約8300y.B.P.にかけての間における断層活動,B礫混じり褐色砂質シルト層堆積前で礫層堆積後すなわち約8300y.B.P.以前における断層活動の可能性が考えられる。

@の約3500y.B.P.以降における活動については,その年代と鉛直変位量から,前述の栃窪南のピットTS−1で確認された最新活動に対比される。それ以前のA及びBの断層活動については,上述のように,いずれも確実性に乏しいものの,TN−1・TN−2両ピットにおける14C年代測定及びテフラの分析をさらに追加して実施し,各土壌層の対比を充実させることにより,その可能性について検討が可能と考えられる。

いずれにしても,現段階では,双葉断層の最新活動の一回前あるいは二回前の断層活動を示す直接的なデータは認められず,平成9年度調査により明らかにする必要がある。

ピットTN−1及びTN−2の一部の法面においては,両黒色土壌間の層厚は断層の低下側でやや厚くなる(図5−7−1図5−7−2図5−10)。両黒色土壌の鉛直高度差は,ピットTN−2の南側法面で明瞭であり,その高度差に明らかな不連続が認められる(図5−11−1図5−11−2)。したがって,両黒色土壌の形成の間すなわち約8300年前から約3500年前の間に双葉断層の活動があったことも考えられる。ただし,黒色土壌「イ」がその層相から堆積性のものではなく,地形面に沿って発達した現地性のものと考えられることを考慮すると,黒色土壌「イ」はその形成前に存在していた断層崖に沿って形成されたため,変位量が,見掛け上,大きくなっていることも考えられる。この場合,双葉断層の最新活動の一回前の活動は,約8300年前以前で礫層堆積後となる。また,

しかし,約8300年前から約3500年前の間に推定されるイベントについては,黒色土壌「イ」と黒色土壌「ロ」との構造の差は,ピットTN−1の北側法面等で推定が可能であるものの,その他の法面では不明瞭であり,また,両ピットのいずれの法面においても,礫層上面の鉛直変位量は約90cm〜約1mと比較的一定であるにもかかわらず,その上位の黒色土壌「イ」の鉛直高度差は,礫層上面の高度差よりも明らかに大きい場合(ピットTN−2の北側法面)もあり,一定していない(図5−13)。このことから,同黒色土壌は鉛直変位量認定の基準面として適していないことも考えられ,このイベントは確実なものとは言えない。