5−4−2 桑折町万正寺地区

万正寺地区ではピット掘削位置を決定するために4地点のボーリングを実施した。実施箇所は図5−5に示す4地点(15m,15m,10m,10m)である。このうちNo.1,3孔は断層を横断する可能性のある小扇状地状の平坦面で実施し、No.2,4孔は断層崖の可能性のある崖地形上で行なった。

1)コア観察結果

 No.1孔では0.48mまでに耕作土および盛土である。これ以深には礫・砂・シルトなどが堆積している。掘削深度は15mであるが基盤岩には到達していない。

 深度1.46〜6.50mの間は礫径の大きな円礫優勢な砂礫層となっているが、充填物はシルトが比較的多い。深度4.76〜4.84m,5.75m付近,6.17m付近には黒色の泥炭層が挟まれ下部は砂優勢となっていいる。深度6.50m以下は砂・シルト優勢で径15cmを超える礫が点在する。

 No.2孔では深度0.51mまでが耕作土および表土であり、この下位深度0.21〜2.22mまでが砂礫層となっている。この砂礫層の上部はシルト優勢であるが下部は径のやや大きな円礫を含んでいる。この堆積物中の腐植質シルト層から7,170±50y.B.P.の年代が得られた。深度2.22〜13.25mの間は軽石質凝灰岩となっている。この凝灰岩は比較的細粒で塊状部が多いが部分的に炭化物や砂の薄層を挟む不明瞭な葉理が見られる。

 深度13.25mと13.65mには粘土を伴う断層面が見られた。この間には木片を含む炭化物、泥炭が含まれ、この年代は44,190±2770y.B.P.が得られた。深度13.65m以下には緑灰色のシルトおよび砂礫層が見られる。

 No.3孔では深度0.21までが耕作土であり、深度4.65mまでがシルト優勢層となっている。表層の深度0.21〜0.53m,1.00〜1.77m,3.38〜3.45mにはやや径の大きな礫を含んでいる。深度3.98〜4.38mおよび4.54〜4.65mには黒色の泥炭、腐植土が見られる。深度4.65〜6.12mは比較的淘汰の良い砂優勢層となっており下部には円礫が見られる。深度6.12〜6.34mには暗褐色の腐植土層がありより下位はシルト優勢層から砂優勢層に変わっている。

 No.4孔では深度0.20mまでに盛土が見られ、より下位深度2.40mまでが不淘汰、無層理の礫混じり砂質シルトとなっている。下部には径7cm以上の安山岩・凝灰岩礫が含まれる。

深度2.40〜4.00mには礫混じりの暗褐色〜暗灰色の腐植質シルトが見られる。この部分は不淘汰で層理が見られない。

 深度4.00〜6.48m間は砂礫層となっているが、この部分も淘汰が悪く、深度6.48m以下には腐植質シルト〜細粒砂がみられる。深度8.20〜8.75mには円礫を含む淘汰のよい砂礫層となっている。

2)考察

 No.1,3孔では予想された基盤岩に到達せず、地層の対比からNo.1,3孔の間に断層活動によって起こると期待された地層の高度差などは認められない。このため断層がより西側を通過する可能性が高いと判断され、この地点でのピット掘削は不適切であると判断した。

 これに対してNo.2孔では地表から2.22mまでが砂礫層であり、この下位深度13.25mまで砂質凝灰岩が見られる。より下位には木片を含むシルト層が見られ、深度13.25mと13.65mには灰色の粘土を持つ断層面が確認された。この断層面のうち上位のものは15°前後の低角度を示し、下位のものは30〜40°の角度をもっている。この断層面に挟まれる堆積物の年代は、44,190±2,7 70y.B.P.であることから、この地区において桑折断層はLU面形成後に活動があったことは明らかである。

 断層の上盤側にあたるNo.2孔の最上部砂礫層からは7,170±50y.B.P.の年代値が得られた。この年代値は断層の下盤側に分布する崖錐堆積物や段丘面上の崩積土との対比が可能なものであり、これらの分布高度の差から極めて新しい時代の断層による変位量や最終活動時期の検討が可能である。

 断層の上盤側にLU面に対応する年代値は得られていないが、地形面の対比によればこの地域におけるLU面の高度差は15m〜10m程度であり、この段丘を構成する堆積物とNo.2孔の年代値および分布標高を対比することによって45,000年前以降の桑折断層の累積変位を求めることが可能である。No.4孔では砂礫および泥炭質シルトが見られ、No.2孔と同一の標高には凝灰岩が出現しないことから主たる断層はこの間に位置すると判断され、の間に存在する崖地形が断層崖である可能性が高い。

 図5−6,図5−7にはコア観察結果から予想される地質断面図を示した。