一方、断層系の北東側では、基盤は断層運動によって沈降しており、文献Gによれば、基盤上限の深度は最深部で標高−54m近くまで下がっている。文献@等によれば、さらに北東側では基盤上面標高は徐々に上昇しており、断層系北東側の凹地は、北東壁に比べて南西壁が急傾斜をなす、非対称なグラーベン構造をなしていると推定されている(2−4節参照)。
被覆層をなす第四系については、文献Dでボーリング等によって得られた地下地質情報をもとに、表4−2−3−1のように層序がまとめられている。図4−2−3−2−2に表層部の地質断面図を示した。
今回の地表踏査では、主に須崎層や阿蘇−4火砕流堆積物等の丘陵地の端部や中位段丘面の下に分布する地層が確認された。
文献Dと今回の踏査及びボーリング調査結果をもとに、調査範囲内に見られる第四系の特徴を以下にまとめる。
更 新 統
・仲 原 礫 層
:褐灰色〜赤褐色の粘土混り砂礫からなる。礫種は深成岩類と脈石英が主体で、変成岩礫も含み、クサリないし半クサリの状態である。後述する上須玖地区のボーリングで確認された。
・須 崎 層
:中期段丘構成層である。模式地にあたる福岡市の地下では、河川下流域にあたるため、固結粘土と淘汰の悪い粗粒砂層の互層からなるが、上流域では粗粒砂〜砂礫層からなっている。今回は福岡市域南部から筑紫野市にかけての中位段丘面の下位にみられた花崗岩礫を主体とする二次マサ状の粗粒砂〜砂礫層が本層に相当すると判断した。風化程度は仲原礫層より低く、地表では褐色を呈し、半クサリ礫の状態である。
・阿蘇−4火砕流
:既往報告では、「須玖火山灰層」や「八女粘土層」・「鳥栖ローム層」等の名称も用いられているが、ここでは文献Dにならい、広域指標テフラとしての名称を用いる。福岡市域(北〜中部)では、現地表より下に分布しているが、南区の付近から地表付近に出現し、調査範囲南端付近まで中期段丘構成層として断続的に分布が確認できる。非熔結の輝石角閃石デイサイト質の軽石質火山灰である。時代は70,000〜90,000年BPである。
・大 坪 砂 礫 層
:文献Dによると、新期段丘構成層で石英礫を多く含む砂礫を主体とし、粘土〜シルトを挟み、また、阿蘇−4火砕流堆積物中からの軽石の再堆積粒子を含むとされている。今回の調査で、太宰府市や筑紫野市において新期段丘構成層として確認された地層も概ねこのような特徴を有し、本層に対比されると考えられるが、文献Dの模式地とは河川系が異なっているため、この名称を使用して一括することはさけ、「新期段丘構成層」として表現した。
なお、後述する大佐野地区での調査では、新期段丘構成層中にAT火山灰らしき火山ガラスの含有が見られた。
完 新 統
文献Dでは、完新統は住吉層・海の中道砂層・箱崎砂層・博多湾シルト層等に区分されているが、この内調査地内に分布するのは、主として住吉層と博多湾シルト層であり、後述する警固地区の調査でこの2層に対比される地層が確認された。
・住 吉 層
:沖積面構成層である。粘土・シルト・腐植物混り粗粒砂からなり、博多湾シルト層と一部指交している。黒色粘土層中にK−Ah火山灰を含んでいる。主部の年代は 9,000〜1,500年BPとされている。
・博多湾シルト層
:縄文海進期に博多湾の海底に形成された堆積物で、貝殻混り砂質シルトを主体としている。貝は内湾性のものである。貝殻濃集部分の形成は6,000〜3,000年BP(縄文海進極盛期前後)とされている。