シルトおよび砂互層(a1層)
シルトおよび砂からなる互層。P−1およびP−2では、下部でより細粒で、腐植質な部分を挟在する。P−1では、標高3m付近(深度3.50〜3.60m)に挟在する腐植質シルトから3,654±57y.B.P.の放射年代を得ている。また、P−2では、標高4.8m付近(深度3.00〜3.10m)に挟在する腐植質シルトから4,540±58y.B.P.の放射年代を得た。したがって、これらの14C年代測定の結果から、a1層とa2層の境界はおよそ5,000年前と想定することが可能である。本層は、層相および層準から、最上部泥層〜上部砂層(三浦、1988)の一部に相当する可能性がある。
細粒物質優勢互層(シルト〜粘性土および砂:a2層)
西(平野)側では細粒物質が優勢であり、東(丘陵)側のボーリングで認められる砂礫(ag層)とは指交関係と考えられる。P−1およびP−2では、頻繁に腐植を挟在する層厚約4〜5mの比較的厚いシルト〜粘性土が主体であり、下部より砂質シルト、シルトまたは粘性土、砂質シルトまたは砂が確認され、粗粒〜細粒〜粗粒の堆積サイクルが認められる。P−1では、標高約−2.4m付近(深度8.86〜8.89m)に、K−Ahを挟在する。P−3は主に砂からなり、P−4およびP−5で認められる玉石混じり砂礫を砂に挟在する。P−3およびP−4は下部境界付近に腐植を挟在し、下位層とはシルトの薄層により境される。P−5では、上位および下位との境界は不明である。層相および層準から、主に中部泥層(三浦、1988)に相当すると考えられる。
砂優勢互層(シルトおよび砂:a3層)
シルトおよび砂が主体であり、東(丘陵)側のボーリングで認められる砂礫(ag層)とは指交関係と考えられる。P−1およびP−2では、下部に層厚3m程度の砂が分布し、上部でシルトが優勢となる。シルト部分には腐植質を挟在する。P−1では、下限付近に挟在される腐植質シルトの薄層から8,271±61y.B.P.の放射年代を得た。P−3では玉石混じり砂礫および砂の互層、P−4では玉石混じり砂礫が主体であり、2孔とも最下部に層厚1m程度のシルトを伴う。P−3およびP−4では、最下部のシルト中に挟在する腐植から、各々7,154±77y.B.P.および7,130±60y.B.P.の放射年代を得た。P−2孔で確認されたg1層最上部の14C年代測定結果(後述)も踏まえた場合、g1層とa3層の境界はおよそ10,000年と想定することが可能である。P−5では、上位および下位との境界は不明である。層相および層準から、下部砂泥層(三浦、1988)に相当すると考えられる。
玉石混じり砂礫(ag層)
玉石混じり砂礫からなり、P−3、P−4およびP−5上部で確認される。a1〜a3層とは指交すると考えられる。礫は安山岩、閃緑岩等からなる円礫が主体で、基質はシルト質砂からなる。
玉石混じり砂礫(g1層)
全てのボーリングで認められ、玉石混じり砂礫からなる。基質は粗粒砂主体、礫は径1〜10cmの安山岩、閃緑岩からなる円礫主体である。P−2の上部約3〜4mでは、砂、シルトおよび砂礫の互層で、上限付近の腐植質シルトからは、11,167±71y.B.P.の放射年代を得ている。層相および層準から、第1礫層(三浦、1988)に相当すると考えられる。
砂・礫・シルト互層(d1層)
砂が優勢な砂・礫・シルト互層からなる。P−5で認められ、層厚は約15mである。
玉石混じり砂礫(g2層)
玉石混じり砂礫からなり、部分的に砂礫互層である。P−5で認められ、層厚は約50mである。礫は安山岩、凝灰岩からなる亜円〜亜角礫が主体で、基質は中〜粗粒砂が主体である。淘汰は悪い。
粘土(d2層)
青灰色〜暗灰色の粘土からなり、部分的に砂〜砂質シルトの薄層を挟在する。P−5で認められ、層厚は約15m弱である。
玉石混じり砂礫(g3層)
玉石混じり砂礫からなる。P−5で認められ、層厚は約15m強である。礫は安山岩、チャート、凝灰岩からなる亜円〜亜角礫主体で、基質は中〜粗粒砂が主体である。淘汰は悪い。
砂・粘土互層(d3層)
全体に青灰色〜暗灰色を呈する粘土および砂からなる互層で、粘土が優勢である。P−5で認められ、層厚は約30mである。下部約9mでは、砂および砂礫からなる互層となる。
凝灰岩(基盤)
P−5の149.25mにおいては、著しく風化して軟化し、シルト状を呈する凝灰岩が確認された。150.30m付近に凝灰岩の偏平な礫が混入するものの、塊状で均質であり、堆積構造は認められない。新第三紀の浄法寺累層に相当すると考えられる。