(2)地質概要

調査対象地域に分布する地質については、福井県(1969)、三浦(1988、1991)等の報告があるほか、第四系については北陸第四紀研究グループ(1969)、三浦(1988)等が記載している。ここでは、第四系と先第四系の基盤岩類である新第三系とに区分し、その概略について以下に整理する。

1)新第三系

本調査対象地域東部の加賀越前山地には、先第四系の基盤岩類である新第三系火山岩類および堆積岩類が露出する(福井県、1969)。

これらの新第三系は、下位より浄法寺累層、竹田累層、冠岳流紋岩類、河南累層、三谷累層、大聖寺累層、橋立累層、米脇累層に区分される。福井県(1969)による層序および分布を表3−1−2および図3−1−14に示し、その概略を以下に示す。

浄法寺累層は、上部層と下部層とに分けられ、かなり広い範囲に分布する。本累層は主として安山岩質溶岩とその砕屑岩からなり、暗緑色ないし緑青色を呈する。下部層の厚さは150〜350m、上部層の厚さは約150mである。

竹田累層は、上竹田を中心とする区域に分布し、竹田礫岩と、その上位の上竹田凝灰岩およびこれと指交する曽谷安山岩に細分される。竹田礫岩は、約150mの層厚を有し、礫は径5〜8cm(最大40cm)の円〜亜角礫からなり、石基は凝灰質で淡緑〜暗緑色を呈する。曽谷安山岩は比較的均質、堅硬で淡青色を呈する溶岩からなり、風化すると橙〜灰黄色を呈する。上竹田凝灰岩は主に火山礫凝灰岩からなり、その中に比較的厚い礫岩を伴う。

冠岳流紋岩類は、浄法寺山付近一帯の高所に広く分布し、浄法寺累層・竹田累層の全てを不整合に覆う。層厚は約500mである。下部は塊状で黄灰色を呈し、石基は微晶質である。中部は暗青色を呈し、顕著な節理が発達する。上部は紫〜暗紫色を呈し、流理構造が発達する。

河南累層は、丹生山地の国見累層に対比され、下位から桂谷凝灰質砂岩層、河南凝灰質互層、曽宇凝灰岩層に細分される。桂谷凝灰質砂岩層は、塊状の灰緑色〜淡緑色の粗粒凝灰岩を挟在する。河南凝灰質互層は、主に暗褐〜茶褐色、または暗灰青色の凝灰質砂岩・泥岩の不規則な互層からなる。曽宇凝灰岩は、一般に灰緑色または淡青色〜灰色の粗粒凝灰岩ないし各礫質凝灰岩からなり、層厚は30〜50mと推定される。

三谷累層は、細坪泥岩層からなる。本層は塊状の泥岩を主体とし、下部は頁岩質、最下部は砂質となる。層厚は150m以上である。

大聖寺累層は、下部の花房凝灰質層と上部の錦城山砂岩層からなる。花房凝灰質層は主に灰白色の細粒凝灰岩および淡緑色〜暗褐色の細粒凝灰岩からなり、いずれも浮石質を呈する。最上部には凝灰質泥岩が分布し、上位の錦城山砂岩層と区別される。層厚は40m前後である。錦城山砂岩層は凝灰質・安山岩質な粗〜中粒砂岩からなり、橋屋・細呂木付近にかけてよく露出する。その層厚は60〜80mである。

橋立累層は、細呂木凝灰岩層、吉崎凝灰質泥岩砂岩層、鹿島山凝灰質砂岩層に細分される。細呂木凝灰岩層は暗褐色または黒色で、塊状を呈し、安山岩質集塊岩、凝灰角礫岩、粗粒凝灰岩からなり、相互に複雑に漸移する。層厚は約50mであり、下位の錦城山砂岩層とは整合関係にある。吉崎凝灰質泥岩砂岩互層は凝灰質泥岩・砂質泥岩ないし泥質砂岩・砂岩の不規則な互層からなり、浮石質凝灰岩を伴う。層厚は約250mである。鹿島山凝灰質砂岩層はほぼ一様な砂岩からなり、塊状で、ほとんど層理が認められない。層厚は50m以上である。

米脇累層は三国付近に露出し、礫岩・凝灰質泥岩〜泥質凝灰岩・粗粒凝灰岩・凝灰角礫岩等からなり、東尋坊・雄島・松島等の各溶岩を挟み、一部これらに貫かれている。下部層は主に礫岩・凝灰質岩からなり、層厚は50m程度である。上部層は火山砕屑岩に富み、塊状でほとんど層理を示さないことからその構造は不明である。

これらの累層のうち、河南・山谷・大聖寺・橋立の4累層は一般にN40〜60゜E、傾斜15〜25゜NWで、単斜構造を示している。また、米脇累層の走向は全体として南北に近く、約15゜東に傾き、下位の累層とは構造的に不調和である。

表3−1−2

2)第四系

調査対象地域に分布する第四系は、海成段丘・河成段丘の段丘構成層、扇状地堆積物、砂丘堆積物等に区分される。これらの第四系のうち、段丘構成層に代表される洪積層は、調査対象地域北部の加越台地周辺に最も広く分布する。

加越台地に分布する第四系について、三浦(1988)は、高位海成段丘堆積物、中位海成段丘堆積物および沖積層に区分している。このうち、中位海成段丘堆積物は、北陸第四紀研究グループ(1969)の芦原累層に相当する。

三浦(1988)および北陸第四紀研究グループ(1969)によれば、高位海成段丘堆積物は、層厚5〜15mのほぼ均質な砂層からなり、越前海岸の標高80〜120mに断続的に分布するほか、加越台地西部の坂井郡三国町陣ヶ岡や東部の坂井郡金津町細呂木北方等に分布するとしている。

中位海成段丘堆積物は、下部の細呂木層(北陸第四紀研究グループ、1969)と上部の芦原砂層(三浦・藤田、1967)に区分され、その層厚は100m以上とされる(三浦、1988)。下部の細呂木層は、金津町細呂木付近、その南方の宮谷等に露出し、福井平野の地下にも分布する。地表に露出する部分は主に砂・泥からなり、坂井郡芦原町芦原温泉付近では砂礫層(層厚約25m)と泥質層(約15m)に区分される。三浦(1988)は、細呂木層を丹生山地中部の標高200m付近を中心とする狭い範囲に分布する礫層(宿堂層;北陸第四紀研究グループ、1969)に対比されるとしている。上部の芦原砂層は、模式地(芦原町芦原温泉付近)において、下位から水成の細粒砂層(層厚約5m)および粗粒砂層(約15m)と、風成の中粒砂層(5m以上)に細分され、粗粒砂層と中粒砂層の間には古土壌が挟在する(三浦、1988;北陸第四紀研究グループ、1969)。これらのうち、粗粒砂層は海成中位段丘面の構成層であるとされ(三浦、1988)、層厚10cm以下の細粒軽石層(浜地火山灰、吉澤、1982)を挟在している。

扇状地堆積物は、東側の山地と平野の境界部付近に分布するが、それについての詳しい記載はない。

平野部に分布する沖積層は、ボーリングおよびそのN値等から、深度10〜55mにある第1礫層の上面を基底とすると考えられ(北陸第四紀研究グループ、1969)、下位から下部砂泥層、中部泥層、中部砂層、上部砂層、最上部砂層に区分される(三浦、1988;北陸第四紀研究グループ、1969)。下部砂泥層は青灰〜暗青色の泥層・砂泥互層、中部泥層は青灰〜暗青色の内湾浅海成の泥層、上部砂層は粗粒砂層、最上部泥層は陸水成層からなる。上部砂層は海岸部では旧砂丘の砂層に相当し、新砂丘堆積物に覆われる。福井平野北部の地質断面図を図3−1−4に、沖積層基底面等高線図を図3−1−5に示す。