3−1−3 地震活動に関する情報

調査対象地域内で発生した地震の中で最も有名な被害地震は、1948年6月28日に市街地直下で発生した福井地震が挙げられる。宇佐美(1987)によると、震源は東経135.20゚、北緯36.17゚、地震の規模はM7.1であったが、規模の割合に被害が大きく、福井平野では全壊率が100%に達する集落も多かったとされる。この地震を期として気象庁震度階級に深度Z(激震:家屋の倒壊30%、加速度400ガル以上)が追加された。また、地表に目に見えるずれは生じなかったが、測量の結果、福井平野の東で北北西−南南東方向の直線を境に東側が相対的に最高約70cm隆起し、西側が南に最大約2mずれたことが確認され、福井地震断層および福井東側地震断層の存在が指摘された(小笠原、1949)。

また、福井地震断層の北方への延長上の海域では、1952年3月7日に大聖寺沖地震が発生した。震源は東経136゚、北緯36.48゚、地震の規模はM6.5で、北潟・塩屋村などで被害が大きく、壁の剥落・山崩れ・道路の亀裂などが所々に見られたとされる(宇佐美、1987)。

その他、記録に残る被害地震としては、1640年11月23日に加賀大聖寺で生じた地震(東経136.2゚、北緯36.3゚、M=61/4〜63/4)、1930年10月17日06時32分および06時36分に大聖寺付近で生じた地震(東経136.35゚、北緯36.30゚、M=5.3;東経136.28゚、北緯36.30゚、M=6.3)が挙げられ、いずれの震央も活断層の北方への延長上に位置する(宇佐美、1987;日活、1991;図3−1−9)。

調査対象地域で観測される微小地震は、大局的には地震断層に沿う分布として理解される(図3−1−10)。福井地震の余震と考えられる活動が福井地震断層周辺に密集しており、その分布が東西にかなりの幅を持って認められるが、それは福井地震断層の東側に並行した活断層と対応しているようであるとされる。また、福井地震断層の北側の延長上にも地震分布がみられ、これは1952年大聖寺沖地震の震源域付近で止まっている。これらの地震の発震機構から求められた広域的な主圧力方向は、福井地震、大聖寺沖地震に代表されるように、ほぼSE−NWとされる(西上・平野、1989)。