(1)越前海岸周辺の段丘調査

越前海岸の隆起運動は、沿岸部をとおると推定されている甲楽城断層およびその北方の断層の活動を反映している。そこで海岸沿いの地形・地質調査をおこない、隆起時期、隆起速度について検討をおこなった。

越前海岸には断続的に海岸線に沿う幅の狭い階段状の平地、すなわち海成段丘面が分布している。越前海岸では海成段丘は標高10m以下の完新世段丘、数10m~135mの中位段丘、および更に高位に位置している高位段丘に区分されている。これらの海成段丘は、海岸部では浸食作用・堆積作用により海岸に形成された平坦地が、海水準変動や陸の隆起によって離水し、形成された海岸沿いのやや高い平地であり、その形成年代と古海水準から離水以降の平均隆起速度を求めることができる。越前海岸に分布している中位段丘の平均隆起速度については、山本他(1996)によってまとめられ、沿岸部をとおる甲楽城断層との関連が論じられている。しかしながら、完新世段丘の分布と高度、および岩石海岸の微地形から隆起運動について検討した報告はない。そこで中位段丘および完新世段丘の調査を実施し、中位段丘形成以降の越前海岸の隆起運動について検討した。

(a)中位段丘形成以降の隆起速度の検討

主として文献調査と空中写真判読により中位段丘群の分布等を把握した。その結果、中位段丘群形成以降に越前海岸が隆起していることが確かめられた。

越前海岸沿いに分布する中位段丘は高位よりM1段丘、M2段丘、M3段丘に細分される。このうち、最も高位のM1面は約12.4万年前に形成され、そのときの古海面高度は+6mにあったとされている(山本他;1996)。M1面の旧汀線高度は、越前岬で最も高く、越前岬より北東方向および南南東方向に向かって、順次低くなる傾向を示す。すなわち越前岬で標高104〜116m、干飯崎(越前岬から南南東に約10km離れた付近)で標高88〜90m、さらに甲楽城(同19km離れた付近)で標高96mである。このようにM1面の旧汀線高度の分布から、更新世後期以降、越前岬を中心とした海岸周辺陸域が著しく隆起していると言える。

M1面から平均隆起速度を見積もると、越前岬付近で0.8〜0.9m/1,000年であるが、南方に向かって速度を減じ、干飯崎では0.7m/1,000年となる。さらに南南東の甲楽城では0.7m/1,000年となり、干飯崎から甲楽城の間では変化が小さくなる。また、越前岬から北東方向に約10km離れた大味付近までは、隆起速度にほとんど変化がない。なお、約10万年前に形成されたM2面、約8万年前のM3面からも同様の平均隆起速度が報告されている。

(b)完新世段丘調査の結果

越前海岸沿いには標高数mの幅の狭い平地が点在している。これが、完新世段丘である。一般にこのような低位段丘は、約6,000年前の高海面期(海水準は現在より2~3m高かったとされている)に形成された海岸の平地が、その後の海面の低下や陸に隆起によって離水した地形であるとされている。この完新世の段丘の分布と高度から完新世(約1万年前~現在)における越前海岸の隆起について調査・検討をおこなった。

越前海岸は磯浜と砂浜とからなる。磯浜では海水準付近に波の浸食作用等により海食崖を切り込んでノッチと呼ばれる窪みが、その前面には平坦なベンチと呼ばれる岩棚が形成される。現在形成されつつあるノッチ−ベンチは越前岬付近の岩石海岸を中心に見られるが、現在の海水面よりはるかに高い所にあるノッチ−ベンチも多数認められる。これらの離水したノッチ−ベンチは、かつてこの高さに海水準があったことを示す良い指標であり、その高度を調べた。また、砂浜ではかつての海水準を示す低位段丘(いわゆる完新世段丘)の高度を調べた。その結果、離水したノッチ−ベンチと低位段丘の高度は共に4~6mに集中し、その他に10~12mを示すものも散在した。また、ノッチ−ベンチでは更に高い高度を示すものもあった。

本年度の調査では、これらの形成年代を明らかにするための試料採取をおこなっていないため、隆起時期や平均隆起速度は不明である。仮に全域にわたり卓越する5m前後のベンチ−ノッチや低位段丘が約6,000年前の高海面期に形成されたものであるとすると、その後の隆起量は2〜3mと見積もられ、平均隆起速度は0.3~0.5m/1,000年になる。