(2)断 層

中央構造線活断層系としての池田断層は,大町〜川之江市金田町平山(以下,平山)にかけては和泉層群中を,平山以東については,北側の和泉層群と南側の三波川変成岩類との地質境界を通るものと考えられる。

(1) 池田断層西部

和泉層群中の池田断層(以下,池田断層西部(仮称))は,大町から三島公園にかけては,扇状地性の沖積堆積物,低位段丘堆積物に覆われ,断層露頭は確認できないが,低断層崖や河川の右横ずれ屈曲などの変位地形を認めることができる。また,伊予三島市中曽根町石床(以下,石床)の開析谷(沖積面)で実施されたトレンチ調査から,最新活動時期は,2,370±160yBP以降で1,500±140yBP以前と報告されており(後藤,1996),さらに,同地点における地層抜き取り調査から,過去3,000年間に3回のイベントがあり,最新活動時期は,1,524〜1,744AD以降(後藤・中田,1997)と報告されており,完新世の活動が判明している。

なお,低断層崖を境に地形面は,大町〜石床にかけては北側低下のセンスを示していること,また,寒川断層東部が南側低下のセンスを示していることから,寒川断層東部と池田断層西部の間の凹地はプルアパートベーズンである可能性がある。

三島公園から平山にかけては,池田断層西部は,丘陵地や山麓地を通るものの,断層露頭は確認できなかった。しかしながら,地形的特徴として,川之江市西金川(以下,西金川)や平山では河谷や尾根筋の右横ずれ屈曲が,上柏町横尾では断層により地形面が撓み上がったと思われる圧縮尾根などの変位地形が明瞭に認められることから第四紀後期の活動が推定される。また,岡田(1973a)は,和泉層群からなる小起伏山地上に分布する平山地点の礫層(結晶片岩礫の亜角礫を主体とする,岡村層相当層)を運搬した河川のかつての上流を,少なくても350m西方の堀切峠から平山へ北流する谷に求めている。

(2) 池田断層屈曲部

池田断層西部の東端となる西金川〜平山にかけては,池田断層が右屈曲し,南側低下のセンスを示しており,凹地状地形が形成されている。

ここでは,愛媛県銅山川第三発電所建設工事のトンネル工事の地質資料から,凹地状地形の南北両側に断層があり,地溝状の地質構造となっていることが報告されている(永井,1973)。右横ずれ断層の右屈曲部であることを考えると,当区間は,プルアパートベーズンの可能性が考えられる。

(3) 池田断層東部

平山以東の池田断層(以下,池田断層東部(仮称))は,北側の和泉層群と南側の三波川変成岩類との地質境界としての断層と一致する。池田断層東部沿いでは,三波川変成岩類からなる山体での地すべり地形や沖積錐の発達が著しく,断層露頭はほとんど認められないが,川之江市川滝町中通(以下,中通)で,川之江市教育委員会が市の天然記念物として指定した断層露頭がある。当露頭では,強風化した頁岩(和泉層群)と擾乱されて,かつ風化が著しい泥質片岩(三波川変成岩類)が幅50cmの珪長岩の貫入岩を介して接する状況が観察できる(別冊報告書,スケッチ2)。貫入岩に破砕は認められない。また,泥質片岩と貫入岩の間には,幅15〜20cmの灰色粘土が認められ,その走向・傾斜はN80°E・40°Sと右横ずれが卓越する断層としては,傾斜が緩すぎる。当露頭周辺には,地すべり地形が明瞭であり,尾根自体が地すべり岩塊からなっていることを考慮すると,永井(1973)や岡田(1973b)が述べているように,重力滑動により,上方から移動してきた可能性が高い。

(4) 川之江市平山以西,地質境界断層としての中央構造線

大町〜平山にかけては,池田断層西部と平行して南側を北側の和泉層群と南側の三波川変成岩類との地質境界としての断層(以下,地質境界断層)が通る。

地質境界断層の露頭は,いくつか報告されているが,人工改変や護岸工事により,ほとんどが消滅している。また,南側の断層崖から発生した三波川変成岩類の地すべりのため,地質境界断層の位置や性状は乱されており,今回,新たに発見した断層露頭はなかった。

過去に報告された断層露頭のうち,伊予三島市光明の土取場(別冊報告書:スケッチ1)で三波川帯の破砕部が地すべりにより崩落したと考えられる露頭が確認できる。泥質片岩が約50mにわたって粘土化しており,泥質片岩中に幅5〜6mの貫入岩が認められる。貫入岩は,粉状,ブロック化を呈しているが,これが風化起源によるものか破砕起源によるか不明であるため,貫入以後の活動については,この露頭では判断できない。

また,現在では確認できないが,伊予三島市光明の大谷川沿い(永井,1978など),三島公園(岡田,1973aなど)で過去に断層露頭の報告がある。

光明の大谷川沿いの露頭では,南側の泥質片岩と北側の和泉層群とが北傾斜の断層で接している。泥質片岩はさほど破砕されていないが,和泉層群が著しく破砕され,頁岩は黒色粉状化し,砂岩は引きちぎられて礫となっていることが報告されている(永井,1978)。

三島公園では,公園造成中に,南側の破砕された三波川変成岩類が走向・傾斜N70°E・40〜50°Sの逆断層面を介して,固結度の高い崖錐性の角礫〜亜角礫層上にのりあげる露頭が報告されている(岡田,1973aなど)。当断層露頭は,背後に大きな地すべり地形が認められることから,異地性岩塊の可能性がある。

地質境界断層の断層活動については,変位地形の可能性のあるリニアメントが判読されないこと,光明の土取場の断層露頭では,貫入岩の貫入以後の活動については判断できないものの,中通(池田断層東部)で確認した断層中の貫入岩には破砕が認められないことから,中新世中期以降の大規模な断層活動はなかったものと推察される。