一方,地表踏査によれば,リニアメントは和泉層群と三波川変成岩類との境界にほぼ対応するが,対応しない場合もある。また,両者の間には流紋岩質貫入岩(石鎚層群)が分布し,石鎚層群中にもDランクのリニアメントが判読されるところがある。3者の連続露頭は発見できなかったが,露出している貫入岩には貫入後の断層変位,断層破砕は露頭では認められないため,貫入後すなわち中新世中期以降大規模な断層運動があったとは考えにくい。ただし,岡田(1972)は,丹原町臼坂の河床において,和泉層群破砕帯と岩脈が接する断層の小露頭を報告しているが,今回の調査では確認できなかった。
また,石鎚層群中に分布するリニアメントは,石鎚層群形成後の断層活動,破砕帯もしくは熱水変質帯の侵食などによって形成された可能性が考えられる。
本調査では,桜樹屈曲部の中央構造線の活動性を示す積極的な証拠は得られなかった。したがって,現在のところ次の3通りの可能性が考えられる(図4−3−19)。
@川上断層は,相之谷〜臼坂間で南北方向に屈曲して,湯谷口以東の川上断層と連続する。
A相之谷〜臼坂間には活断層は分布する相之谷以西の川上断層西部と湯谷口以東の川上断層東部は別のセグメントである。この場合,桜樹屈曲部が圧縮性バリアを形成している。
B桜樹屈曲部は右横ずれが卓越する川上断層西部の末端隆起部で,湯谷口以東の活断層とは別のセグメントを構成する。
いずれの場合においても,変位地形の不明瞭さから,中央構造線桜樹屈曲部における第四紀後期の活動はあったとしても,極めて低いと推定する。もし第四紀に中央構造線桜樹屈曲部が活発な断層活動があったとすると,西側の高縄山地の隆起に伴う堆積物が,形成されているはずであるが,これらが認められないことも傍証と考えられる。
したがって,断定はできないが,川上断層(岡田,1973a,b)の第四紀後期に活動的な区間は,中央構造線桜樹屈曲以東の川上断層東部と,以西の川上断層西部と区分される。そして,桜樹屈曲部は,左ステップする2つの右横ずれ断層間に形成された圧縮性バリアと推定される。
図4−3−14 岡田(1972)による川上断層の連続性と桜樹屈曲部
図4−3−15 高橋(1986)による桜樹屈曲形成の概念図
図4−3−16 地質調査所(1993)による川上断層と中央構造線桜樹屈曲との関係
図4−3−17 国土地理院(1998)による桜樹屈曲部の川上断層
図4−3−18 丹原町相之谷〜丹原町臼坂間の地形地質分類図
図4−3−19 川上断層のセグメントに関する考え方