(4)遺跡調査による古地震記録

遺跡調査による古地震記録

埋文関係救援連絡会議・埋蔵文化財研究会(1996)「発掘された地震痕跡」によると,愛媛県内では,以下の3ヶ所において地震動による液状化や,地すべりの跡が報告されている。

(1) 丸山U遺跡(伊予三島市中曽根町)

弥生時代中期後半の竪穴式住居の底面が断層によって北側に5cm程ずれることから,地震の時期は弥生時代中期後半より後の時代と断定している(図2−1−27)。

なお,水野ほか(1993)は,このずれを活断層ではなく地すべりと記載している。

(コメント)

本地点は,池田断層の南約400mに位置し,池田断層もしくは寒川断層の活動による地震動によって地すべりが発生した可能性がある。また,覆土中に焦土や炭化材が保存されていることから,弥生時代中期後半に地震と地すべりが発生した可能性も考えられる。

(2) 幸の木遺跡(東予市幸の木)

自然流路の堆積物の液状化による噴砂,噴礫とその砂脈を検出した(図2−1−28)。噴砂は,7世紀から12世紀にかけて堆積した含有層を貫いているため,地震の時期は12世紀より後の時代に限定できる。また,現在の水田床直下で検出された溝は,噴砂の後で構築されていることから,噴砂の起こった地震の時期は,12世紀以降で昭和南海地震よりは古いことがわかる。

(コメント)

当地区の震度は,歴史上最大の宝永南海地震で5〜6で,昭和南海地震で4である。したがって,この液状化跡は噴礫を伴うなど液状化の規模が大きいことから,南海地震ではなく,近傍の活断層による直下型地震の可能性が高いと考えられる。当地点は,川上断層東部・小松断層の北約2.5kmに位置することから,同断層の活動による液状化の可能性もある。もしそうならば,同断層が12世紀以降に活動したことになるが,堤ほか(1998)のトレンチ調査結果では,同断層が1,200〜−1,900年B.P.に活動したと推定している。

(3) 松環古照遺跡(松山市)

噴砂は,15世紀の埋没土を貫いていることから,地震は15世紀以降の時期に限定できる(図2−1−29)。また,砂の広がりが近世の包含層では認められないことから,地震の時期は近世より新しくなることはない。

(コメント)

この液状化を発生させた地震は,15世紀以降かつ近世以前に限定される。この間には,表2−1−8(あんぜん四国検討委員会,1998)の歴史地震がある。このうち,当地点の液状化と関係がありそうな地震は,以下の通りである。

1585年(天正12年):川内町医王寺の楼門大地震により倒壊(1586年か?)

1596年9月1日(慶長1年7月9日):伊予郡保免村薬師寺大地震の時,本堂仁王門また崩る.

1649年3月17日(慶安2年2月5日):松山城の石垣20間,塀30間崩れる.

1707年10月28日(宝永4年10月4日):宝永南海地震(M8.4)

表2−1−9 愛媛県下の古地震記録(土木学会四国支部あんぜん四国検討委員会,1998)

図2−1−27 丸山U遺跡説明図(埋文関係救援連絡会議埋蔵文化財研究会,1996)

図2−1−28 幸の木遺跡説明図(埋文関係救援連絡会議埋蔵文化財研究会,1996)

図2−1−29 松環古照遺跡説明図(埋文関係救援連絡会議埋蔵文化財研究会,1996)