なお,887年,1099年,1361年,1707年の地震は南海地震の系列で,中央構造線の活断層とは別の地震と考えられる。よって,直下型地震の可能性のあるのは◎印の地震である。ただし,1649年の地震は被害分布が南北が広範囲であることから,活断層ではなく,芸予地震(1905年)のようなフィリピン海プレートの沈み込みに伴う深い地震の可能性が高い。
887年8月26日(仁和3年7月30日):五幾七道南海地震(M8.0〜8.5)
1099年2月22日(承徳3年1月24日):南海道・畿内(M8.0〜8.3)
1361年8月3日(正平16年6月24日):畿内・土佐・阿波(M8.1〜8.5)
◎1494年6月19日(明応3年5月7日):奈良(M6.4)〔新居郡誌〕伊予大地震ありて被害多し(図2−1−21)
◎1498年7月9日(明応7年6月11日):京都,諸国大地震(図2−1−22)「新居浜市多喜浜の黒島の土地陥落崩潰れ3/4を失う」
◎1533年(天文2年):伊予西条橘新宮神社が地震と高潮で潰没(図2−1−23)
◎1585年(天正12年):川内町医王寺の楼門大地震により倒壊(1586年か?)
◎1595年9月1日(文禄4年7月9日):東予市壬生川鶴岡八幡大半倒壊して地中に陥沈す(図2−1−24)
◎1596年9月1日(慶長1年7月9日):伊予郡保免村薬師寺大地震の時,本堂仁王門また崩る(慶長豊後地震(M7.0)の4日前)(図2−1−25)
△1649年3月17日(慶安2年2月5日):松山城の石垣20間,塀30間崩れる(図2−1−26)
1707年10月28日(宝永4年10月4日):宝永南海地震(M8.4)
図2−1−21 1494年6月19日の地震(日本電気協会,1988)
図2−1−22 1498年7月9日の地震(日本電気協会,1988)
図2−1−23 1533年の地震(日本電気協会、1988)
図2−1−24 1595年の地震(日本電気協会,1988)
図2−1−25 1596年9月4日の地震(日本電気協会、1988)
図2−1−26 1596年9月5日の地震(日本電気協会、1988)
表2−1−8 四国の中央構造線付近の地表層序と地形面区分(岡田,1972,1973)