Iy−1では,地質調査所(1993)が, 低位段丘層を切る断層露頭を図示している。
本断層は, 郡中層〜八倉層相当層中のN56°E・80°Nの走向傾斜で,流動化など未固結時の変形が認められる。
Iy−2では,熱水変質作用によって角礫状になり,網目状に粘土化した,デイサイト安山岩が分布している。伊予断層は,本露頭より北側を走る。
伊予断層は,三波川変成岩類の破砕帯を伴うので,伊予断層は, 中央構造線本体の地表断層である可能性が高い。高野川の(Iy−3)では,安山岩が角礫状に破砕され,その中に, 三波川変成岩類泥質片岩の破砕物が断層によって挟まれている(長谷川,1996:図4−4−11,図4−4−12)。破砕帯中の1つの断層面はN42°Eの走向で,75°北へ傾斜している。泥質片岩の破砕帯には,右ずれを示すひきずりが認められる。
Iy−3の北側のIy−4では,和泉層群の破砕帯にデイサイトが貫入している。
Iy−5では, 北西側のLT面段丘堆積物の基底面が断層によって変位を受け,見かけ上南側が約6m低下している(図4−4−13)。断層面は,基盤の和泉層群破砕部ではN47°Eで, 北へ71°傾斜しているが, 礫層との境界では,N43°Eの走向で,北へ47°と緩傾斜になっている。断層の上端は,姶良−Tn火山灰を含む礫層に覆われている。
Iy−6では,和泉層群中の断層破砕・熱水変質帯が観察される。断層面はN40°Eの走向で,南へ64°傾斜でしている。
Iy−7では,岡田(1972)により断層露頭が報告されているが,道路法面擁壁のため観察できない。
伊予地区清掃センター(Iy−8)では,和泉層群中にNE走向で,鉛直に近い断層が観察される(図4−4−14)。和泉層群は, LT面段丘堆積物に被覆されており断層上位の段丘堆積物の基底面に変位は認められない。新期の断層面は, センター進入路を通ると推定される。
Iy−9では,八倉層相当層にN45°Wの走向で,北へ34°傾斜の正断層が露出していた。本断層は, 八倉層相当層堆積物後に生じた重力性の断層の可能性が高い。
銭尾峠から北西の地域では, 伊予断層そのものの破砕帯は観察されないが,伊予断層に沿って, 和泉層群破砕物起源の堆積物が点々と分布している。一部では, この中にデイサイトの角礫が含まれている。これらの堆積物は, 八倉層と同程度に固結をしており,また, 堆積地形も残っていないため,八倉層に匹敵する古い堆積物と推定される。
伊予市三秋のIy−10, Iy−11では, 岩盤すべりによって広範囲に和泉層群が破砕されている。
Iy−12, Iy−14では, 伊予断層と接してすぐ北側に, 流紋岩および片岩の円礫を含む扇状地堆積物(八倉〜郡中層相当層)が分布する。これらの堆積物は,層相から旧森川から供給された可能性が高く,伊予断層の右横ずれ断層運動によって最大1.5q東側へ移動した可能性がある。
Iy−13 では, 和泉層群が南傾斜の面で片岩を含む八倉層相当層の上に載っている。これは,岩盤すべりによる境界面の可能性が高い。
Iy−15 では, 水野・他(1993)は,沖積礫層を切るN53°Eの走向で,南東へ86°傾斜の断層を図示し, 伊予断層の副断層としている。これに対して, 藤江(1996)は,「現地調査の結果では,断層による接触ではなく,削られた不整合境界面であることから,この稲荷の溜め池の活断層の存在は認められない。」と報告している。水野・他(1993)の断層露頭がある吾水池は,水位が低下しているものの,断層は現時点では確認できない。水野・他(1993)の断層露頭については,水位の更なる低下を待って現地調査を行う。
Iy−16 では, LT面の低崖の基部に礫層・腐植土層が露出しているが,断層を示す変形構造は認められない。
Iy−17 では, 高速道路切土法面に和泉層群と, 崖錐堆積物を境するN50°Eの走向で北へ85°傾斜の断層が報告された(後藤,1996)が, 現在は, 道路構造物のため観察できない。周辺の地質分布から, 崖錐堆積物とされた地層は,八倉層相当層である可能性が高い。
Iy−18 では, 水野・他(1993)は, 伊予市上郷本願寺東において中位段丘U面堆積層群と和泉層群との境界断層を図示し,段丘層基底が7m垂直変位しているとしている。藤江(1996)は, 水野・他(1993)の断層露頭に対して,「この露頭の地質の状況は, 和泉層群を切る古い断層破砕部を境にして長期間の差別侵食やクリープ現象があり,一部に開口亀裂を生じ,この亀裂を砂が充填し,当時の地表は,河川の浸食で谷地形を形成した。そこへ急激な水流を伴いながら,揺籃状態で左側の砂礫層(高位段丘堆積層相当)が堆積し,少し遅れて,右側の砂礫層と左側の上の砂礫層が堆積したと推定できる。したがって,この断層は,更新世後期に活動した活断層ではなく,むしろ,古い断層であると判断した。なお,この断層部は,幅約4mの小断層や頁岩の擾乱部をもち,断層部を境にして,東側の傾斜SEと西側の傾斜NWと構造を異にするので,断層の延長は,比較的長いと思われる。」と解釈している。
本願寺東の露頭(Iy−18)に対しては,
@ M2 段丘堆積物を変位させる断層(水野・他,1993)。
A 古い破砕帯が差別浸食を受け,開口亀裂が生じたところに,高位段丘層相当層が堆積したもので,更新世後期に活動した活断層ではない(藤江1996)。 との2通りの解釈がある。
これらに対して,
B 八倉層堆積中の岩盤すべりによる落ち込み。との解釈も考えられる。
この根拠は以下の通りである(図4−4−15)。
a.礫層は堆積した堆積面が完全に開析され,固結度も非常に良いことから八倉層と対比される先段丘堆積物と考えられる。
b.基盤となっている和泉層群の砂岩・泥岩互層は不規則な開口割れ目が発達する緩みの著しい岩盤である。また,開口割れ目の一部には堆積物が充填されている。
c.礫層と和泉層群との境界面は凹凸に富み,明瞭な断層面が認められない。また,境界面に沿う和泉層群の断層破砕も認められない。
d.境界面下部には粘土質の礫層が境界面に沿って形成されている。これは一部でせん滅し,下部ほど厚くなっている。本層は, 未固結時に形成されたもので,固結後の断層変位・破断は受けていない。これ境界面形成時に下方から注入された可能性がある。
e.境界面北側の礫層は, 境界面に向かって落ち込んだ礫の並びをしている。これは,断層のひきずりとは逆のセンスである。
以上の状況証拠から, 本境界面八倉層堆積時もしくは未固結時に, 和泉層群の岩体と堆積物とが地すべりを起こし,山側の滑落崖形成時の落ち込みによって形成されたと推定される。
Iy−19 では, 右横ずれを示すCランクのリニアメント北側の分離丘陵を構成する和泉層群が露出していた。和泉層群の砂岩泥岩互層は, 成層構造は保たれているが,不規則の開口割れ目が発達しており,岩盤すべりによる破砕を示している。
Iy−20 では, 和泉層群を不整合で覆う八倉層の礫層が観察される。
Iy−21 では, 和泉層群と八倉層礫層との不整合面状の境界面が観察される。
和泉層群砂岩・泥岩互層は, 緩みが著しく, 移動岩塊の可能性がある。