2−3−2 郡中断層

Saito (1962)は,和泉層群が郡中層に衝上した走向N60°E, 20 °Sの境界面を記載し,“Gunchu Fault"(郡中断層)と命名した。

その後,岡田(1972)は,郡中断層の平均走向はN50°Eで, 北へ80°傾斜するものの, 断層線に沿って水平或は垂直変位を示唆する変位地形は見られないとしている(図2−3−2)。

また, 鹿島・高橋(1980)は,露頭観察および地層分布から,郡中断層はN36°Eの走向で,79°南へ傾斜しているとしている。また,郡中断層のNE方向延長部で高位段丘礫層に覆われていると報告している(図2−3−3)。

鹿島・高橋(1985)は,郡中層が急傾斜しているのは背斜構造の北麓をみているからであって, 郡中断層による引きずりの結果ではないとし,その形成時期を,後期更新世初期以前と推定した(図2−3−8)。

水野(1987)は, 郡中層の時代を鮮新世後期〜更新世前期とし,その上限は1Ma頃と推定した。また,郡中断層は不整合面状で一部では地すべり的であるとした。

活断層研究会(1991)では郡中断層を,確実度U,活動度C級,長さ2qの活断層としている(表2−3−1)。

長谷川(1993)は,郡中断層を約 100万年前の巨大な岩盤すべりの先端で,一過性の根無し断層と考えている。その岩体の復元から,伊予断層は1Ma以降約1qの右横ずれ断層変位を推定した(図2−3−9−1図2−3−9−2) 。

これまでの,郡中断層の成因と地下構造に関する考え方を(図2−3−10,長谷川, 1993)に示す。