伊予断層は,中央構造線(砥部衝上断層)の3〜5q北,和泉層群中に位置するもので,松山市南方の伊予郡砥部町麻生付近から南西方向へ,伊予郡双海町高野川まで追跡される長さ約14qの断層である(図2−3−1:高橋 1997 )。
本断層は,永井(1954)によって初めて論文中の地質図に示され,その後,香川・愛媛両県の主として内帯側を調査研究したSaito(1962) によって “IyoFault"(伊予断層)と命名された。その後,Kaneko(1966)が航空写真の判読から,伊予断層が右横ずれ断層であることを指摘し,さらに,岡田(1972)は, 「断層線には右ずれ運動に起因する河谷変位(stream offset) や閉塞尾根(shutter ridge) が各所でみられる」ことや「断層崖の比高は数百m以下で,その斜面は北流する開析谷により細断され,三角末端面の地形はあまり明瞭でない」,「伊予市から上灘へ通じる道路沿い(伊予市下三秋から双海町高野川間)に,断層鞍部や直線状谷が続き,これに沿って右ずれの変位河谷が見られ,和泉層群が破砕されている状態がいくつかの露頭で観察できる」,「双海町高野川付近では断層は分岐するようであるが,その南側の,高野川の西集落へぬけると推定される断層上で,中位段丘面に比高1〜2mの低崖がみられる。段丘面形成後の低断層崖らしいが段丘面を開析する谷では変位を受けているかどうか判らない」,「伊予断層の北東端にあたる行道山北麓では断層地形は不明瞭となり,断層線の向も東方へ湾曲し,断層は数本に分岐するらしい。この付近では礫層が分布することも影響して断層地形の表現が悪いらしい」こと等を報告した(図2−3−2)。
平岡(1973)は,「向井原から上三谷・八倉間では,南東側の隆起を示す三角末端面あるいは,offset stream から右横ずれが見られる。八倉〜上三谷間では,やや不明瞭であるが,上三谷〜向井原間は明瞭で,最も深い谷を形成する稲荷では,水平変位量が約 120mと推定される。また,上三谷付近には,shutter ridge が形成されている」ことや「高野川〜向井原間の水系には異常な所はなく, 断層に沿う水系は, 断層線谷と考えられる」とした。
日本の活断層を図示, 記載した活断層研究会(1980, 1991)は,伊予断層は確実な活断層(確実度T)で,平均変位速度が1m/1,000年以上10m/1,000年未満(活動度A)であることや,「この中央−北東部と,南西部で,上下変位の量とむきが異なる。尾根や谷の右ずれ屈曲の量はやや少ないもののきわめて明瞭である」と記述している(表2−3−1)。鹿島・高橋(1980)は,「伊予断層の露頭そのものを発見することはできなかった。しかし,松山市南南西に位置する下三秋から高野川にかけては,推定される断層の両側に分布する和泉層群の走向・傾斜が大きく異なっていることや,銭尾峠付近から西の伊予灘にかけて,幅20〜30mの黒色に圧砕された和泉層群がほぼN40°E方向に追跡できることなどから,断層の存在を推定することができる」.「この断層は,下三秋以東においては新期扇状地堆積物に被覆されて正確な位置は不明であるが,八倉方向に延長するものと推定した」.
「この断層は上野付近で地形的に追跡不能となり,伊予郡麻生に分布する高位段丘礫層を切っていないように観察される」.「この高位段丘礫層は,海抜100mの高所に存在しており,これが下三秋から八倉に連続する伊予断層により南側のブロックが上昇させられた結果であると解釈できる。これと同様の断層運動は,伊予市三秋で発見した高位段丘礫層の存在からも推定される。この伊予断層のセンスは,郡中断層と同様のものであろう」とした(図2−3−3)。
岡田(1980)は伊予断層の右横ずれ変位地形を図示した(図2−3−4)。
リニアメントや変位地形の判定に見誤りが含まれている可能性のあることを危惧した藤江(1994)は, 伊予断層を調査して次のように結論付けた。「@第四系に変位を与えている断層露頭は認められない。A古い断層露頭は, 南の高野川北東の日滝工業鰍フ敷地で認められるが, この北と南への延長はまだ明らかでない。B伊予断層の北半部の市場−稲荷区間で,変位地形と認定された水系の屈曲は,自然の水系屈曲であり,系統的な右ずれの証拠が明瞭でないことから,変位地形とは判断できない。C伊予断層の海域への延長は,音波探査の結果からは,追跡できず,ほぼ陸域の範囲で収束するものと考える。D伊予断層は,南半部の約1q区間に実在し,北への延長は森川付近までの約2qであり,南への延長は約1qであって,約4q程度と判断される。断層の活動の時期は,第三紀以前と考えられ,活断層もしくは活断層の疑いはないと判断せざるを得ない」。
一方,水野ほか(1993)は,2万5千分の1の地形図に伊予断層を示すとともに,この断層線上の4ヶ所で見出した断層露頭の観察結果を簡略に記述した。
その記述によれば,伊予断層の東部では中位段丘層と和泉層群が,西部では低位段丘層と和泉層群が断層関係で接し,段丘層の基底が約6〜7mの垂直変位を有しているとされている(図2−3−5)。
高橋(1995)は, 伊予市宮下の南 600mの位置にある本谷池流入口西側で走向N42°E,傾斜85°Nの断層が観察されたことを報告するとともに,「伊予断層に沿っては系統的な河川のオフセットがみられないことや,断層が八倉層等に覆われていることから,伊予断層は活断層ではない.」と考えている。
藤江(1996)は,水野ほか(1993)を受け, 再度調査研究を行い,藤(1994)と同様に「断層あるいは活断層としての伊予断層については,水系の屈曲に関する判定(筆者は地形変化と認定),伊予断層沿いに断層露頭が少ないこと,断層露頭で高位段丘堆積層に変位を与えていないことなどから,伊予断層の活動は新第三紀以前のものであり,断層の位置は,南半分の長さが約4qであり,活断層の疑いはないと判断した(表2−3−2−1、表2−3−2−2、表2−3−2−3、表2−3−2−4)
最近,後藤(1996)は「伊予断層の横ずれを示す断層線の,起伏に関係なく直線状ないし緩やかな曲線を描いた断層線が雁行配列をなしている」ことや,河谷の変位をもとに,本断層の右横ずれ平均変位速度はおよそ1〜5o/年とし,岡田(1972)の求めた1o/年以下のオ−ダ−という値よりも大きいことなどを報告した(図2−3−7−1、図2−3−7−2)。