(2)地形

(1) 地形概要

図2−2−3−1図2−2−3−2図2−2−3−3に低地部の等標高線図(コンタ図)を示し、図2−2−4−1図2−2−4−2に調査地の地形断面図を示す。

調査地域は青森市の北西部から蓬田村にわたる地域の海岸までで、山地、丘陵、台地及び低地から構成される。

山地(大倉岳山地)及び丘陵(蓬田丘陵、飛鳥山丘陵)は青森湾西断層の西側にあり、山頂部の標高は約90〜150mで約100/1,000以下の勾配で東に向かって傾斜している。台地及び低地は青森湾西断層の東側に分布し、台地は南部(野木和台地)及び北部(小館野台地)に広く分布するが、その間では低地の西縁に点在するにすぎない。標高約20〜80mで東北東へ緩やか(35/1,000程度)に高度を下げる。台地は主に複数の段丘から構成される。低地は海岸線まで広く分布し、現河川とほぼ同傾斜(5/1,000〜15/1,000程度)の扇状地、氾濫原、自然堤防等の微地形からなり、海岸付近では浜堤、後背湿地等の微地形からなる。低地は完新世に形成したと推定されるが、明らかに扇形に段丘化し、海岸平野としては特異である。

このように地形の構成は青森湾西断層を境に東西で異なり、青森湾西断層以西は主に山地及び丘陵からなり、山地を刻む谷底平野が狭く分布するのに対し、断層以東では主に台地(段丘)及び低地からなる特徴がある。

(2) 地形面区分

調査地に分布する地形面の概要を図2−2−5に示し、各地形面の特徴を以下に述べる。また図2−2−6に段丘堆積物及び被覆する風成層の露頭柱状図を示し、図2−2−7に各柱状図を対比した総括図を示す。露頭位置は付図4,付図5青森湾西断層の活断層図(1/10,000)に示す。また、図2−2−8に河川周辺に分布する地形面を河川毎に東西方向に投影した図を示す。

[高位段丘面(T2面)]

調査地の北部では蓬田川周辺の標高約25〜30mに、南部では西田沢川周辺の標高20〜30mに約7/1,000〜8/1,000の勾配で分布する。分布は平坦であるが著しい開析を受けている。蓬田川沿いでは山地中に河成段丘として連続しているが、露頭によるに対比ができなかったため、この河成段丘面が低位面(T4c面)の連続である可能性も残している。現在は、主に畑地、果樹園として利用されている。

[中位段丘面(T3面)]

調査地の南部(飛鳥沢以南)及び北部(阿弥陀川・蓬田川周辺)の山地と低地の境界から低地側の標高約10〜20mに比較的広く分布する。約4/1,000〜11/1,000の緩い勾配で東に傾斜する。風成層中の段丘堆積物の直上付近に洞爺火山灰(Toya)が挟在する。境界はやや不明瞭だが標高約15m付近で勾配が変化することから、さらに細分される可能性がある。分布位置、分布標高及び開析の程度から、入内断層周辺では、青森県(1998)の青森市三内付近に広く分布するT3面と対比される。現在は、主に畑地、果樹園として利用されている。

[低位段丘面(T4c面)]

調査地に流れる河川の谷口部から低地側に分布する。谷口部を中心として扇形に分布する傾向があり、約14/1,000〜19/1,000の急な勾配を持つことから扇状地面として形成されたと判断される。段丘堆積物を被う風成層の下限から約20cm付近に十和田八戸テフラ(To−Hp、To−H)が認められ、下限付近及び段丘堆積物中に十和田大不動テフラ(To−Of、To−Bp)が不明瞭であるが認められる。現在は、主に畑地、水田として利用されている。

[新規扇状地面]

調査地の低地部に河川の谷口部を中心として扇形に分布する。標高差は小さく境界は明確でないが、現河床の標高から約2〜3m高く段丘化している。内真部川の北側と南側で勾配が異なり、北側は約12/1,000〜14/1,000で、南側の約5/1,000〜6/1,000より急になるが、これは現河床勾配の異なりと一致する。現在は主に水田として利用されている。

[扇状地間低地]

平坦で南北方向の微地形が残る低地及び東西方向の旧流路などを主体とするが、その境界は不明瞭である。現河床の標高から1.5〜2m高く段丘化している。新規扇状地面以前の海成の平野、新規扇状地面以降の河川による浸食面及び浸食堆積面と推定される。現在は主に水田として利用されている。

[谷底平野・氾濫平野]

現河川沿い及び浜堤の陸側に分布する最も低標高の平坦地からなる。現在は主に水田、河川敷として利用されている。

[浜堤]

海岸線付近の国道280号線沿いの微高地及び平行して0.5km程度陸側に分布する微高地からなり、海岸線と同方向(南北方向)に連続する。現在は住宅地、道路、畑及び神社として利用されている。陸側の浜堤は、内真部川を境とし北部で南部より不明瞭となる。

[自然堤防]

海岸線付近から西側の現在及び過去の河川流路沿いに蛇行して分布する微高地からなる。海岸線の浜堤より若干低標高の微高地となる傾向にある。浜堤と同様に現在は住宅地、道路、畑及び神社として利用されている。

[崖錐・小扇状地面]

山地と平野(丘陵)の境界に分布する急な勾配(約50/1,000〜100/1,000)の平坦面である。内真部川より北部では勾配が急になる傾向があり、深い谷できざまれた明瞭な崖錐地形の集合からなると考えられる。南側では明瞭な谷は認められず開析は殆ど進んでいないことから、その形成については不明である。現在は主に畑地、果樹園、森林として利用されている。

(3) 主要テフラの層序

地形地質調査で確認されたテフラは、上位から十和田八戸テフラ(To−HP・To−H)、十和田大不動テフラ(To−Of・To−BP1)、洞爺テフラ(Toya)及び八甲田第1期テフラ(Hkd−1)(鶴ヶ坂凝灰岩部層)である。

a.十和田八戸テフラ(To−HP・To−H)

十和田八戸テフラは十和田カルデラを給源とし、青森県東部を広く覆う。互層状に成層した細粒と粗粒の白色軽石からなる(青森県、1982)。多数の14C法年代測定値(太田ほか(1979)など)によって噴出年代は12,000〜13,000 y.B.P.と推定されている。このテフラは岩木山麓(黒木、1995)や津軽平野東縁地域でも確認されている(吾妻、1995)。

調査地域では黄褐色の火山灰を主体とし白色の軽石を含む。層厚0.5m程度で段丘面上の黒ボク(地表面)直下に分布する。軽石及び基質に長柱状の角閃石を多く含む。黄褐色の色調から陸上堆積であると判断されるが、降下火山灰であるか火砕流堆積物の末端付近であるかは確定できない。

b.十和田大不動テフラ(To−Of・To−BP1)

十和田大不動テフラは十和田カルデラを給源とする。降下軽石からなるTo−BP1と火砕流堆積物からなるTo−Ofに分けられる。To−BP1は給源より北東に分布の軸を持ち、青森県東部を広く覆っている。To−Ofは十和田湖を中心に北東−南西軸上で約100kmに渡って分布している(町田・新井、1992)。その噴出年代を大月(1991)は約30,000y.B.P.、町田・新井(1992)は「たぶん33,000y.B.P.以前」と多数の14C年代値から推定している。

調査地域では中位段丘面上の風成層中に火山ガラス、単斜輝石及び斜方輝石が層状(層厚0.1〜0.2m程度)に含まれる。また、低位段丘の構成層の最上部及び直上の風化火山灰層付近にも類似した火山灰が混入する。十和田起源の火山灰のなかで、軽石型及びバブルウォール型の火山ガラスを含む特徴をもつ唯一のテフラであり、調査地域においては、バブルウォール型の火山ガラスを確認することで、十和田大不動テフラをほぼ確定できる。 青森市沖館〜新田で実施したボーリング調査で十和田大不動火砕流堆積物(To−Of)に混入する炭化木の年代測定で32,730±280yBPの14C年代値が得られた。また、下位の腐植物層で36,940±610yBP、上位の腐植物層で29,680±240yBPの矛盾しない値が得られた。

c.洞爺テフラ(Toya)

洞爺テフラは洞爺カルデラを給源とし、北海道から東北地方一帯を覆う広域テフラである。火山ガラスの屈折率が低いという特徴で他のテフラと区別できる。このテフラの噴出年代はジルコンのフィッショントラック法年代測定より130±30ka(奥村・寒川、1984)、熱ルミネッセンス法年代測定で103〜134ka(高島ほか,1992)という年代値が求められており、層位学的には御岳第1軽石(On−Pm1;80〜95ka(フィッショントラック法))の下位にあることからToyaの噴出年代は100〜120kaと考えられている(町田・新井、1992)。このテフラは鯵ヶ沢地域(宮内、1988a)、岩木山麓(黒木、1995)や津軽半島地域(吾妻、1995)で確認されている。大池・中川(1979)の白タフ(WT)に相当する。

調査地域では中位段丘の構成層直上の風化火山灰層に挟在する。火山ガラス、斜方輝石、角閃石を主とする。しかし、露頭によっては単斜輝石、雲母、両錐石英などが含まれるが、別の起源の鉱物が再堆積及び周氷河インボリーション等で混入したと判断した。

d.八甲田第1期テフラ(Hkd−1)(鶴ヶ坂凝灰岩部層)

八甲田第1期テフラは八甲田火山を給源とする火砕流堆積物で、津軽平野東縁地域や青森西部地域の海底火砕流堆積物である鶴ヶ坂凝灰岩部層に相当する(村岡・高倉、1988)。Hkd−1の噴出年代として村岡・高倉(1988)がK−Ar年代測定で0.65Ma、高島ほか(1990)が石英の熱ルミネッセンス法年代測定で0.51〜0.55Maという年代値を報告している。

調査地域では山地と低地(丘陵及び段丘を含む)の境界部の所々に露出し、軽石凝灰岩、細粒凝灰岩及び砂質凝灰岩の層相を呈す。

表2−2−4に中位段丘面上の露頭で採取した試料の分析結果を示す。

(4) 段丘(地形)面の編年

調査地域に分布する段丘を高位段丘(T2)、中位段丘(T3)及び低位段丘(T4c)の大きく3つに区分した。これらの段丘の形成年代を、分布、標高、勾配、開析度及びテフラの関係から判断した。図2−2−9に地形面のテフラとの関係及び特徴を示す。

高位段丘面:分布位置及び勾配から山地の蓬田川沿い以外は海成面と判断(T2面)する。中位段丘面より著しい開析を受けていることから、中位段丘面よりも古い時期に形成したと判断され、中位段丘面 が、吾妻(1995)のVm面であると判断されることから、高位段丘面は津軽半島に比較的広く分布する吾妻(1995)でTm面としている約20〜22万年前の海成面であると判断した。

中位段丘面:海岸線と平行して広く分布すること及び緩い勾配で分布する(T3面)ことから海成面と判断する。細分化される可能性があるが、周辺で最も広く分布すること及び洞爺テフラを段丘構成層直上付近の風化火山灰層に挟在することから、吾妻(1995)でVm面としている約10〜12万年前の海成面であると判断した。

低位段丘面:主要河川の谷口部付近に分布すること及び急勾配であること(T4c面)から扇状地面と判断する。十和田大不動テフラを構成層上部に含み、十和田八戸テフラに被われることから、吾妻(1995)でWf面としている約2万年前の扇状地面と判断する。

新規扇状地面:扇状に分布し現河床勾配とほぼ同じ緩い勾配をもつことか(T5a面)ら完新世に形成された扇状地面と推定した。新規扇状地面Tについては現河床標高より2〜3m高い標高に地形面が分布すること及び扇状の形態で分布することから完新世の海水準の最も高い時期に形成が始まり、その後の海退期に形成された地形面であり、形成年代は主に約5,000〜7,000年前であると推定した。

扇状地間低地:新規扇状地面の形成と同時期またはそれ以前に形成された海成面、及び新規扇状地面の形成以降に形成された河成面であると推定される。

以上に示した本調査の青森湾西断層周辺の段丘面区分、入内断層周辺(平成9年度調査)段丘面区分及び吾妻(1995)の段丘面区分を対比し表2−2−5に示す。

入内断層周辺(平成9年度調査)と対比し、高位段丘面をT2面、中位段丘面をT3面、低位段丘面をT4c面、新規扇状地面をT5a面、扇状地間低地をT5b面として表示する。

(5) 断層変位地形

調査地には明瞭な山地と平野(段丘及び丘陵も含む)の境界が南北方向に分布する。この境界は、北部の阿弥陀川から中部の内真部川にかけては海岸線から約3km付近に、内真部川から飛鳥沢にかけては海岸線から約2km付近に分布し、飛鳥沢以南では地形境界が徐々に不明瞭となりながら西田沢川の左岸沿いを南南西方向に延びる(この地形境界が徐々に不明瞭になる要因としては、断層の端部で変位量が徐々に変化する可能性、南東方向から供給された八甲田T期火砕流堆積物の供給量の違いを表す可能性などが考えられる)。西田沢川以南の丘陵部では地形境界が不明瞭となり、蓬田川以北では地形境界が不明瞭となり断層の延長部に分布する河川による一連の形成が考えられる低位面に大きな変位は認められない。

この蓬田川付近から西田沢川付近までの約16kmの直線的に分布する地形境界が『[新編]日本の活断層』などの既存文献で青森湾西断層の根拠となっており、過去の断層活動及びそれに伴って形成された旧汀線構造であると推定されるが、断層の活動時期及び活動性に関しては、地形境界を横断して分布する地形面及び地層(変位基準)が少ないため直接的な証拠は確認されていない。

しかし、新規扇状地面はその形成が一連であるかは不明であるが、この境界を横断して分布し変位地形が存在する可能性がある。新規扇状地に見られる断層(撓曲)変位により形成された可能性のある地形について以下に示す。また、新規扇状地面以外の地形でも形成が不明であり変位地形として考えられるものについても以下に示す。

新規扇状地面の谷口部段差:

調査地の河川沿いに分布する新規扇状地面は、土地改良のため不明瞭となっているが、谷底部と平野部の境界付近にほぼ南北走向に延びる東落ちの段差が認められる箇所がある。これらの箇所の空中写真及び判読結果を図2−2−10−1図2−2−10−2図2−2−10−3に示す。

これらの内、奥内川の谷口部の段差が比較的明瞭であり、土地改良の影響も少ないため、奥内川の谷口部で地形面の標高及び分布を詳細に把握するために測量を行った。この結果は、図2−2−11奥内川付近詳細測量結果平面図、図2−2−12奥内川付近地形面投影図に示す。

この平面図及び地形面投影図で明らかになった点を以下に示す。

・奥内川の北岸には、現在水田として利用されている平坦面が広く分布する。これは広域で新規扇状地面とした面に相当する。

・奥内川の南岸には現在林地として利用されている地形面が分布する。地形面は北岸の水田面とほぼ同標高及び約0.5〜1.0m低い比較的平坦な面と、水田面より高標高の凹凸に富み川に向かって傾斜を持つ面の2つに分け られる。高標高の面は斜面からの崩積土及び枝沢の堆積物等で形成したとみられ変位基準として評価できない。

・距離約200〜300mの間で現河床が約1.5mの標高差を持つ。

・距離約200m、約500m、約750mの3箇所の水田面に標高約0.5m程度の段差がみられる。

・水田面の平均的な分布勾配が距離約200〜500mの間を境とし、東側(平野側)で急になり西側(山側)で緩くなる傾向がある。

空中写真判読でも確認された断層変位の可能性のある距離約500m地点の直線状の段差に注目すると以下のように考えられる。

・断層変位の検討の基準となる地形面は段差の東西に分布する水田面(新規扇状地面)のみであり、測量で約0.5mの段差が認められる。

・現河床に段差が認められず、現河床に段差が認められる位置は距離500m地点の段差から200m以上も西側(山側)である

・約0.5m程度の標高差は他の箇所にもあり、断層変位以外の要因で形成された可能性も十分考えられる。

以上から以下に示す4通りの解釈が可能である。

@段差を境として形成年代が異なる地形面であり、段差は段丘崖である。

A段差は谷口部に位置する。この位置は河成段丘と扇状地の境界となる扇頂部にあたり、この段差は、初成時に形成されたものであるか、初成時の勾配の違いが水田として利用され強調されたものである。

B河川の蛇行などの浸食の違いにより形成された。

C断層変位地形である。

水田の造成で本来の地形が失われていること及び地層による確認ができていないことから、どの解釈も可能であるが、@は扇状地の斜面方向と直交する段丘崖が形成することは考えづらく可能性は低い。A、B、Cは現在得られているデータではいずれの可能性も除外できない。全ての可能性が残り、これらの要因が複合していることも考えられることから、結果として落差0.5m程度の断層変位の可能性が残る。

崖錐・小扇状地面:

この面の表層には斜面上部からの崩積土及び小河川による規模の小さな扇状地堆積物が分布している。しかし、これらの要因だけで形成した地形としては分布範囲が広いと考えられる。

特に奥内川以南の面は分布範囲が広いのに加えて非常に平坦であり、この地形の形成を容易に考えることは難しく、断層変位がその形成に関連している可能性があり、この地形の形成について推定した。

<特徴>

・分布位置:主要河川沿いを除く山地と低地の境界部

・分布標高:約15〜30m

・幅(東西方向距離):約200〜400m

・傾斜:約3〜6゚

・背後斜面比高:約30〜50m

・沖積錐、崖錐及び小規模な扇状地などが多少見られるが、全般には開析が進んでおらず極めて平坦である。

・地形面の規模に対して、堆積物を供給した沢の規模が貧弱である。

・平坦面に近接する飛鳥沢左岸の露頭に軽石凝灰岩が分布する。これは岩相から八甲田T期火砕流堆積物(鶴ヶ坂凝灰岩部層)に含まれ、不明瞭である が軽石の配列が東側に20〜30゚程度の傾斜を有す。

・後述する浅層反射法弾性波探査結果で推定した地下深部の八甲田T期火砕流堆積物の反射面は地形勾配より緩傾斜を有す。

・オーガボーリングで確認した深度1〜2m程度までの堆積物は礫混砂を主体とし、表層は背後斜面から崩落した土砂からなる崖錐堆積物である可能性が高い。被覆する風成層は殆ど認められず、低標高部で黒ボク直下に十和田八戸テフラ(To−Hp、To−H)が認められたのみである。

表層に崖錐堆積物が分布することから、この地形面を崖錐斜面と区分することは可能である。地表面直下に十和田八戸テフラ(1.2〜1.3万年前)を含むことから堆積速度が遅いと考えられ、背後斜面の比高が小さいことや沢の規模が小さいことからも堆積物の供給は少ないと判断される。

しかし、地形面は幅約200〜400mと広く凹凸が少なく平坦である。これが崖錐斜面として発達したのであれば、古くからほぼ一定の堆積物の供給量で長い時間をかけて形成される必要があり、斜面からの堆積のみで発達した崖錐斜面である可能性は低い。このため、表層を崖錐堆積物が覆うが、地形の基本形状は別の要因で形成されたと考える。

まず、地形の基本形状を変位地形として考えると、傾斜した段丘面である可能性が考えられる。この地形面は調査地に分布する段丘面と比較して平坦である。断層変位で上昇及び傾斜をした段丘面であれば、断層の東側に分布する上昇していない段丘面よりも開析が進むはずであり、矛盾が生じ傾斜した段丘面である可能性も低い。

この地形の分布する付近には八甲田T期火砕流堆積物(鶴ヶ坂凝灰岩部層)が分布する。軽石凝灰岩は、塊状で比較的固結しているが水を通しやすいという特性があり、規模の大きな河川の影響の少ない箇所では、一様で平板状の開析を受ける可能性が考えられる。この浸食面の上を崖錐堆積物が覆ったと考えると、一応はこの地形の形成を矛盾無く仮定することができる。

推測の域を越えないが、この地形が変位地形でない可能性は比較的高い。また、浅層反射法弾性波探査結果で、この地形の地下の八甲田T期火砕流堆積物(鶴ヶ坂凝灰岩部層)の反射面の傾斜が地形面の傾斜よりも緩いことはこれを裏付ける状況証拠の一つである。しかし、現状では状況証拠のみでこの地形面と断層変位の関連を完全に否定することはできない。