(2)調査結果(第一次)

T−3測線における浅層反射法弾性波探査の反射断面図を図2−3−16及び付図14に、谷底低地で実施した地形測量による縦断図を図2−3−17に示す。ボーリングB3−1について柱状図を報告書資料編に添付し、岩相の概要を2−77〜2−80ページに示す。火山灰分析の結果を表2−3−1に、14C法年代測定の結果を表2−3−2−1表2−3−2−2に、フィッショントラック法年代測定の結果を表2−3−3に、熱ルミネッセンス法年代測定の結果を表2−3−4に示す。

T−3測線の反射断面図には、深度300m付近に非常に明瞭な反射面が反射断面図の範囲にわたって連続して認められる。この反射面の上側には厚さ70mほど、反射面の弱い部分が同様に連続してみとめられる。これらの反射面は県道付近の下で幅約1kmにわたって西へ向かってたわみ、撓曲をなしているのが認められた。この撓曲は反射断面図の深度1000m付近まで認められ、深い所ほど傾斜が急になっており、たわみに累積性が認められることから活構造であると考えられる。たわみの背後(東側)には反射面の系統的なずれが認められる部分があり、ずれを連ねた線を地表へ延長するとTm面上の崖地形の位置にあたる。このずれを連ねた線は断層に相当すると考えられ、傾斜約40゜で西傾斜、相対的に西側が上がっている。断層は深度300m付近まで認められるがそれ以深は不明瞭になる。また、反射面のずれの量には累積性が認められることから、この断層は活構造であると考えられる。

ボーリングB3−1では深度199m付近に鶴ヶ坂凝灰岩部層が出現した。反射断面図では前述の反射面の弱い部分に当たり、この反射面の弱い部分は鶴ヶ坂凝灰岩部層であると考えられる。地表調査では鶴ヶ坂凝灰岩部層は全体に無構造であり、部層内では明瞭な反射面をなさないだろうと考えられる。また、鶴ヶ坂凝灰岩部層のすぐ下位の明瞭な反射面は、大釈迦層の一部であろうと考えられる。

上記のことから撓曲による変位量は、鶴ヶ坂凝灰岩部層の基底面を変位基準とすると、撓曲の両側で垂直方向に約140mの変位が認められる。また、ボーリングB3−1の深度55〜65m付近に見られた淘汰の悪い礫層はTm面段丘堆積物の基底礫層であると考えられるが、これに地表調査結果を合わせると、Tm段丘堆積物の基底と考えられる反射面には撓曲の両側で垂直方向に約40mの変位が認められる。反射断面図には、前述の吾妻(1995)が推定している撓曲脚部に連続する東上がりの低角逆断層は認められない。背後の断層は、鶴ヶ坂凝灰岩部層の累積変位量が撓曲に比べてはるかに小さいため、副次的な断層であると考えられる。

地形測量では測量した範囲のうち、起点(姥溜池のすぐ下流)から約330mの地点に地形の遷急点が、約1950mの地点に遷緩点が認められた。遷急点はTm面上の大平断層の崖地形を谷底低地に延長した位置とほぼ同じであり、この断層の活動によって形成された可能性がある。この遷急点から西側では谷底低地は西側へ向かって緩く傾斜しており(12〜14/1,000程度)、遷緩点から西側では傾斜がさらに緩くなる(9/1,000)。したがって、津軽山地西縁断層帯のごく最近の活動が地形に現れているとすれば、この傾斜の比較的大きな範囲が津軽山地西縁断層帯の撓曲の範囲であると考えることができ、その変位量は約10mである。

谷底低地は前述のようにWfb面(3〜5万年前)と考えられる。ボーリングB3−7(掘進長20m)及びB3−8(掘進長20m)では地表から5〜6mまで未固結な砂礫であることからも、この谷底低地は扇状地面の可能性が高い。その場合、低地の表面はもともと傾斜していた可能性があり、地形測量で認められた遷緩点は扇端部の可能性もある。