また、海岸に沿った丘陵部では砂を採取したり切土が行われ、造成地盤が各所に存在する。
(2)砂丘(新期及び旧期);海岸に沿って新第三系を覆って砂丘が分布する。地形は新第三系を反映したなだらかな丘陵を形成するが、砂丘堆積物の厚いところでは東西方向の峰を形成する。旧期砂丘は新期砂丘に覆われ、独自の地形は判別していない。なお、海岸線に沿って南北方向に分布する海浜砂丘もここに含めることにする。
(3)沖積氾濫面;河床からの比高が数mの現在の氾濫原面である。河川沿いの最も低い平坦面として認定できる。完新世段丘の隆起速度はこの氾濫面との比高として算定した。河川勾配は河川長にもよるが、秋田市寄りの北側で緩く、本庄市寄りの南側で急になる傾向がある。
(4) 完新世段丘;衣川や君ケ野川などに広く分布する(図4−3−1、図4−3−2)縄文海進時の地形面で、沖積氾濫面との比高は数m、14C年代は5,900〜7,600BPが得られている。この完新世段丘は子吉川流域に広く分布する完新世面と対比される(佐藤ほか1982)。北側の鮎川や境川では平坦面として認定は出来ても段丘とはみえないほど氾濫面との比高が小さい。南側の小屋川や深沢などでは河川勾配が急で、地形面の分布が狭いので判定が難しい。
(5)未区分完新世面;(1)〜(4)以外の完新世面を未区分完新世面とする。扇状地面は本流の完新世段丘より一段高くなるケースが多いので注意が必要となる。また、傾斜地が耕作地として平坦化され、地形面と間違うことも考えられる。なお、調査範囲北端の雄物川左岸側完新世面は秋田大学地質調査班(1986)では沖積2面、3面に区分されているが、ここでは分布範囲が狭く、系統的に分類できないため未区分完新世面とした。
(6)中位段丘(1〜3面);由利丘陵の中位面は完新世段丘の上位の地形面として認識されるが、衣川など各河川沿いに散在的に分布するに過ぎない(図4−3−1、図4−3−2)。また、堆積物は薄く火山灰も認められないので、生成時代も明らかでない。
しかし、衣川や鮎川では散在的ではあるがほぼ同標高に分布すること、雄物川や子吉川の海成とされる中位面とほぼ同標高である(図4−4)ことより、各々の分布標高をもとに海進期の中位段丘として区分を行った。
@中位段丘1面;鮎川、君ケ野川、衣川、三川に散点的に分布し、標高は35〜40m、薄い砂礫層を伴う。いずれも尾根の一部を構成する程度の広さである。
A中位段丘2面;境川、鮎川、君ケ野川、衣川、芦川、深沢に散点的に分布し、標高は25〜30m、薄い砂礫層を伴う。いずれも尾根の一部を構成する程度の広さである。
B中位段丘3面;鮎川、芦川に散点的に分布し、標高は15m前後である。
中位段丘1面、2面は完新世段丘との比高も大きく、認定が比較的容易であるが、中位段丘3面は内陸側の完新世段丘とほぼ同標高となり、区別が困難である。認定した鮎川、芦川では河口部など完新世段丘の標高が低い箇所で区別した。
なお、海岸沿いの国道7号線周辺には砂丘が発達して段丘面は判別し難いが、標高10数mから20数mにかけて各所に平坦面が存在するのは中位段丘を反映している可能性がある。
(7)未区分中位面;境川の北側では、海岸に沿って標高20〜30mの開析の進んだ段丘地形がほぼ南北方向に分布する。上面には薄い砂礫層が砂丘の下に認められ、これは1/5万地質図幅では潟西層、笹岡層とされている。しかし、秋田市周辺の潟西層は区分・対比がまだ十分に行われてなく、薄い砂礫層の同定は現状では困難である。このため、ここでは未区分中位面として扱うが、開析の進み程度から判断すると同標高の中位面に比べて時代的に古い可能性がある。
(8)高位段丘面;衣川の中位段丘1面よりも上位の標高50〜65m付近で、礫層を伴う平坦面を高位段丘面とした。尾根の一部を構成する分布のみで開析の程度は明らかでない。このほか新第三系の山地では各所に平坦面が存在し、旧耕作地と考えられる。これらの箇所で基盤の新第三系には礫層は無いので、円礫の存在をもって段丘面と判定したのがこの高位段丘面である。
(9)未区分高位面;本荘市に近い三川では標高50〜70m付近の開析の進んだ丘陵地形箇所に、新第三紀の天徳寺層を傾斜不整合で覆って、ほぼ水平構造の地層が分布する。この地層の生成時代は明らかになっていないので未区分高位面とした。
以上の地形面の区分により由利丘陵の地形の分布を明らかにし、リニアメント解析や由利丘陵の隆起に関する検討の基礎データとした。