上記測線の南側約4.5kmの八郎潟北岸測線における既往反射法探査データの再解析断面図(図5−5−10)上でも、能代断層を確認できた。地表への投影位置はCDP No.120付近であり、浅内沼測線上での地表投影位置との関係を見ると、ほぼ南北方向に連続していることが確認できる。
本調査地域全体の地形調査の結果、図6−2−1に示すように、畑谷から大曲までの約20kmの区間で中位面および低位面、沖積面に東側隆起を示す撓曲構造が認められる。これらは一連の活構造であると考える。
本活構造は、調査地域の北側、南側ともにさらに延長される可能性がある。例えば、水沢川以北にも能代断層と雁行配列する撓曲構造(中位面および高位面の傾動、撓曲)が報告されており、大沢他(1984)ではこの部分も「能代衝上断層」としているが本調査で明らかになった能代断層本体との関連は不明である。また、森岳温泉付近を通る「中沢撓曲(大沢他,1985)」は、延長15km以上におよぶ低位面および中位面の傾動、撓曲であり、Awata・Kakimi(1984)は能代断層とは独立したセグメントとして扱っている。これらの事柄については、本調査の検討対象ではないが今後の更なる調査・検討が必要と思われる。
1694年の能代地震の規模について、大沢他(1985)はM7.0として、能代衝上断層の活動による可能性が高いとしている。粟田(1985)は、能代地震による八郎潟北岸の隆起量を1/5,000国土基本図により1.0mとし、低下側も加えた変位量を松田(1975)から1.6mと推定している。