八郎潟北岸地区でも米代川と同様に3面に区分した。このうち最高位のA1面は、一部さらに3面に細分される可能性があり、必要に応じてA1(高位)面、A1(中位)面、およびA1(低位)面とする。
秋田大学調査班(1986a)は、米代川における沖積面群の成因を縄文海進以降の海水準変動によるものと推定している。一方、八郎潟北岸地区の最低位沖積面(A3面)は、能代地震の隆起域(粟田,1985)に相当する。すなわち両地域の沖積面の区分には成因的な不一致が残されている。本調査における沖積段丘面の区分は、あくまで相対的な地形面高度によるものである。
また、沖積面の上に成長する新期砂丘の区分については、秋田大学調査班(1986a)による能代〜秋田地域での総合的な区分、白石(1986)による浅内〜八郎潟地域での区分、および藤本(1986)による米代川付近での区分があり、それぞれ判読や形成順序などに若干の差異がある。これらはそれぞれの研究で検討された露頭やボーリング資料の違いによるものである。本調査ではこれらの研究に比較して特に新しい知見は得られていない。そのため煩雑になるのを避け、A1面上に成長している砂丘を新期砂丘1(D1面)、A2面以降の沖積面上に成長している砂丘を新期砂丘2(D2面)とした。
八郎潟北岸地区と米代川流域との沖積面群の詳細な区分と分布については、能代断層による変動と関連があるとみられ、次節に詳述する。
表4−1−1 地形面区分一覧表