3−6−1 沈降側ボーリング孔による比較

3地域における断層沈降側の層序は図3−6−1のように整理される。

米代川では最終氷期最盛期(1.8万年前)以降約1万年前まで、米代川が下刻した深い谷を沖積層が埋積しているが、この時期の堆積物は浅内沼〜八郎潟北岸には分布しない。また浅内沼測線には同位体ステージ3〜4の厚い堆積物が分布しているが、この時期のまとまった堆積物は米代川や八郎潟北岸には分布していない。既存文献資料では、米代川の沖積層の下位には新第三系が直接分布している。

浅内沼測線のボーリング深部に分布する同位体ステージ5相当の海成堆積物は、上部が削剥されている可能性がある。一方八郎潟北岸沈降域に堆積した同位体ステージ5相当の海成堆積物は、同位体ステージ3〜5相当の泥炭(腐植土層)や同位体ステージ3〜4相当の薄い塊状粘土(ローム)が被覆しており、浅内沼測線のような同位体ステージ3〜4の大きな削剥は考えにくい。したがって同位体ステージ5相当層は、浅内沼測線ではその最下部に、八郎潟北岸では最上部に相当する可能性があり、両地域の沈降速度を単純に比較することには問題がある。

以上のように3地区の沈降速度を、上部更新統を基準に比較することができない。これは主として最終氷期の低海面期に、能代断層沈降側で米代川の流路、川幅、形態が変化し、上部更新統が繰り返し浸食、削剥されたことによるものとみられる。

しかし同位体ステージ1に相当する10,000〜6,000年前に堆積した沖積層は3地域に共通して分布し、いずれの地域でもボーリング孔でほぼ連続的な14C年代値が得られている。また沖積1面は、内湾ないし潟から淡水環境に移行し、一部離水が遅れた地域を除いて約6,000年前に離水したことが判明しており、数千年間にわたって3地域はほぼ同一の堆積環境にあったと推定される。

縄文海進の最高海面期に相当する約7,000年前の年代値が得られているの堆積物を3地域の沈降側で比較すると、米代川南岸のB−10孔では標高−7〜−3m、浅内沼測線のB−6孔は標高1〜4m、八郎潟北岸のB−1孔では標高4m前後に分布している。米代川における分布高度と、浅内沼測線や八郎潟北岸の分布高度の差は有意であり、米代川では明らかに沈降速度が大きい。

米代川の地質解析では、約7,000年前の層準は能代断層による2回の断層変位を経験していると推定した。いずれの地域でも約7,000前の沖積層が現海水準を2〜4m上回った高度で堆積したものとすると、米代川の沈降側ではこの層準が2回の変位で5〜10m沈降したことになる。これに対して浅内沼測線や八郎潟北岸の約7,000年前の層準は、能代断層沈降側に位置しながら、現在でも縄文海進最高海面期と同じ高度に位置し、ほとんど沈降していないことが判る。

図3−6−1 三地域能代断層沈降側の対比柱状図