3−5−8 能代地震1回前の変位直後(4〜5千年前)
約6,000年前に沖積1面が離水したが、米代川では離水直後の4,000〜6,000年前に能代地震1回前の断層変位があったことが推定される。米代川南岸の能代断層沈降側には葉理を伴う砂層が堆積しており、この時期再び海面下に没した可能性がある。八郎潟北岸沈降側では、能代断層撓曲部のB−3、B−5孔付近に約3,000年前の年代を示す堆積物が分布しており、離水が遅れている。また八郎潟北岸から浅内沼測線にかけて分布する沖積1面を覆う腐植土層の底部には、一部に300〜2,700年前の年代を示す部分があり、現在の浅内沼や蓮沼に相当するような湿地が所々に形成されたとみられる。この時期以降、海浜部での新期砂丘の成長、小海退、能代地震による地盤の変動を経て、海岸はほぼ現在の位置に後退した。八郎潟は約2,200年前までに外洋から隔離されて汽水化したが、北岸の能代断層の隆起側では、一貫して波食台を形成していた。