A1面にはB−41・G−4およびB−57の3孔、A2面にはB−58・B−59およびG−6の3孔を配置した。またA3面にはB−60・B−61・G−8・B−62・B−74・B−63およびB−73の7孔を配置したが、B−74を含めてこれより南側に位置する3孔は、耕作土・腐植土層の底部が現海水準より低く、離水していない可能性がある。
ボーリングで得られた腐植土層の底部の高度を比較すると、同一面ではそれぞれ一連の高度を示しており、A1面〜A3面は高位の面から順次形成された段丘面としての性格を示している。
腐植土層より下位の堆積物は、比較的シルトに富む部分と砂を主体とする部分とに分けられる。シルトに富む部分は総じて固結度が高く、炭質物や生痕を頻繁に伴う。砂を主体とする部分には良く円磨された礫や生痕を伴うことがある。
シルトに富む部分と砂を主体とする部分の連続性を検討すると、堆積物の勾配は段丘面の勾配より大きく、沖積面の構成層とは考えにくい。またG−4孔とA3面東西測線のG−8孔において炭質物に富むシルトを14C年代測定したところ、それぞれ31,880±1,220yBPと39,850±1,000yBPの年代値が得られた。さらにG−4孔の緑色粘土からは鮮新世の海生化石種の珪藻だけが検出された。
以上のことから、腐植土層の直下には後期更新世以前の堆積物が分布すると判断される。砂層の一部には沖積層を伴う可能性もあるが、八郎潟北岸隆起側の沖積面群は、完新世には一貫して波蝕台を形成していたとみられる。これは能代断層隆起側が内湾ないし潟の環境にありながら、隆起速度や波浪による浸食速度が堆積速度を上回っていたことを示している。
図3−4−2 八郎潟北岸隆起域南北測線地質断面図