和田aテフラは肉眼的に判別が容易であり、米代川で実施したすべてのボーリング孔とジオスライサー試料に認められる。隆起側のG−14孔やB−12孔付近では厚さが増して1m前後に達するが、沈降側のB−10孔では7cm程度となる。隆起側の比較的厚みを持った部分では径5〜30mmの軽石を含んだ火砕流堆積物の様相を示すが、沈降側の薄い部分では細粒の火山ガラスを主体とした降下火山灰の様相となる。3孔のボーリング孔とジオスライサーG−14孔においてテフラ分析を行い、十和田aテフラの降下層準であることを確認した。
期砂丘堆積物は、沈降側のB−10孔において十和田aテフラを挟在する腐植土層を被い、厚さは10mに達する。砂丘砂は大部分が塊状無層理の淘汰の良い中粒砂からなるが、最下部の約1mの区間には葉理が認められ、厚さ10cm程度の腐植質砂層を挟在する。同様の砂層や腐植質砂層は、G−12孔にも認められる。
A1面の離水時期を正確に把握するため、腐植土層の底部と離水前の堆積物の上部から試料を採取して14C年代測定を行なった(図3−2−4)。B−10孔を除くすべての試料において、腐植土層底部の年代値は5,000 cal.yBP〜6,000 cal.yBPの範囲に示される。一方離水前のシルト質な堆積物の上部は6,300 cal.yBP〜6,700 cal.yBPの年代を示し、腐植土層と下位のシルト質堆積物の境界は、断面図上で共通の時間面を形成する。B−11孔の堆積物だけが明らかに若い年代を示して腐植土層と年代が逆転しているが、付近ジオスライサー試料ではしばしば腐植土の下方1m程度まで鉛直方向に伸びた植物根が認められるため、上方からの汚染を避けられなかったものとみられる。
以上のことからA1面の離水年代の範囲は6,000 cal.yBP〜6,300 cal.yBPにほぼ限定される。珪藻群集の分析結果と併せて判断すると、A1面は約6,000年前に河川氾濫原の環境から離水したものと判断される。