(4)地質構造

調査地域の地質構造は,新第三系中新統の南北方向の褶曲構造と断層で特徴づけられる。

(1)褶曲構造

褶曲構造は,巨視的に山地が背斜部,平野が向斜部となっている。

背斜構造は,横手市及び平鹿町においては複背斜構造(横手沢複背斜:臼田ほか(1977)),増田町及び稲川町地域においては比較的単純な背斜構造(沖ノ沢背斜:臼田ほか(1981))で特徴づけられる。

〈横手沢複背斜〉

横手沢複背斜は,小繁沢層・山内層及び相野々層を褶曲させており,山内層においては著しい。数条の南北性小背斜及び小向斜が交互に繰り返され,全体として大きな背斜を形成している。複背斜の小背斜及び小向斜は全体に非対称であり,山内層において,特に顕著である。また,上位の相野々層では相対的に緩やかとなる傾向がある。複背斜構造の南方延長は,増田町金峰山・真人山から稲川町大森山を中心とした真昼川層の分布地域の沖ノ沢背斜に連続すると考えられる。

沖ノ沢背斜は真人山から稲川町大森山にいたる長さ約14kmの南北性の軸を有し,主に真昼川層を褶曲させている。真昼川層は,主に塊状の火山岩類からなるため層理面の走向・傾斜のデータが少ないが,既存文献等を参考にすると,沖ノ沢背斜は比較的単純な背斜構造をしていると想定される。

(2)断 層

ここでは第2章で述べた断層変位地形以外の断層ついて述べる。

@A断層

A断層は村山(1934)によって命名された"千屋断層"のことであり,山崎(1896)が命名した千屋断層と混同する恐れがあるため,ここでは「A断層」と呼ぶ。

臼田ほか(1976)によると,調査地域でのA断層は千畑町浪花から善知鳥を経て,善知鳥川の右岸沿いに六郷町関田付近を通っている。その南西延長は横手盆地下に埋没して不明であると述べている。また,千屋層の東方分布を画しており,断層付近では地層のかく乱が見られるとしている。

佐藤ほか(1998)によると千屋断層が活動する以前の逆断層であると述べている。本調査では善知鳥川沿いに段丘堆積物が分していることから,この断層を確認していない。ただし,六郷町関田の丸子川の河床において,幅3mのヒン岩の貫入を伴う断層があり,その両側の走向傾斜は,N20゚E90゜及びN58゚E90゚であり,位置及び走向から考え,A断層の本体ないし派生断層の可能性がある。

A善知鳥断層

善知鳥断層は臼田ほか(1976)によって命名された断層であり,それによると千畑町花岡から善知鳥を通る断層であり,北北東−南南西系及び北−南系の各断層を切断している断層であると述べている。本調査ではこの断層を確認していない。

B弥勒断層

弥勒断層は,臼田ほか(1976)の「1/5万;六郷図幅」及び臼田ほか(1977)の「1/5万;横手図幅」における3条の断層である。

空中写真判読によれば,3条のうちの西側の1条が杉沢川中流の弥勒から吉沢川中流の一の坂を経て滝ノ沢中流付近まで,ほぼ南北方向に,直線谷や鞍部の断続する断層地形として追跡される。

地質調査結果によれば,付図1−5−1付図1−5−2走向線図に示したように,地質構造が急変することあるいは破砕帯が存在することなどから臼田ほか(1977)とほぼ同位置に3条の断層が推定された。西側の断層は明永沼の上流側の沢において山内層に層理面スリップ型の断層が集中した破砕帯が観察され,滝ノ沢においても山内層の逆転急傾斜帯,沼山川では山内層に破砕帯が観察されることから推定される。東側の断層は滝ノ沢において小繁沢層の構造が急激に変わること,近傍の三十三観音の滝に北−南方向・東傾斜の断層が観察されることなど推定される。

これら推定断層は山内層,小繁沢層が急傾斜(一部転倒)した複背斜の過褶曲部にあたることから,褶曲構造の発達に伴って,過褶曲部に形成された断層と考えられる。第四系との関係は不明であるが,活動は第四紀以前にほぼ終息していたと推察される。

C古期扇状地堆積物に見られる断裂

稲川町下宿東方の古期扇状地において,古期扇状地堆積物とそれに挟在する風化火山灰を切る断層露頭が認められた。断層露頭は,図1−2−2−4調査位置図に示したように,古期扇状地の北西縁に位置する土取り場法面において観察される。図1−2−2−5図1−2−2−6図1−2−2−7図1−2−2−8にスケッチ図及び露頭写真を示す。

図1−2−2−4 古期扇状地中の火山灰及び断裂の調査位置図 

図1−2−2−5 火山灰柱状図及び試験試料採取位置

図1−2−2−6 各火山灰の露頭写真

図1−2−2−7 Loc.1 スケッチ図及び露頭写真

図1−2−2−8 Loc.2 スケッチ図及び露頭写真

古期扇状地堆積物は径5〜10cm(最大40cm)の安山岩角礫と火山灰質粘土が混然一体となった角礫層で,部分的に火山灰質粘土層をレンズ状に伴う。全体に極めて風化が進み,角礫は灰から赤灰色の軟質礫となり,基質も粘土化・赤色化が進んだ火山灰質粘土となっている。

風化火山灰は角礫層中に2層認められ,いずれにも軽石層(テフラ)を挟在する。Loc.1(図1−2−2−7)においては,主断裂がf−1・f−2・f−3の3条が認められ,以下の性状となっている。

(走向,傾斜)      (正・逆)  (断裂沿いの変位量)     (特徴など)

f−1   N58゚W・38゚S   正     d=10cm        断裂面が湾曲する

     N40゚W・50゚W   正

     N28゚W・48゚W   正     d=65cm

f−2   N36゚W・38゚W   正     d>65cm        断裂面が湾曲する

     N28゚W・23゚W   正

     N84゚W・21゚S   正

     N86゚W・44゚S   正     d=60cm

f−3   N22゚W・72゚W   正

Loc.2(図1−2−2−8)においては,主断裂がf−4・f−5・f−6の3条が認められ,以下の性状となっている。

(走向,傾斜)      (正・逆)  (断裂沿いの変位量)     (特徴など)

f−4   N2゚W・66゚E    正

f−5   N84゚W・50゚S   正                  断裂面が湾曲する

     N−S・58゚W    正     d=55cm

f−6   N76゚E・69゚S   正     d=55cm

     N81゚E・75゚S   正

以上のように,6条の主断裂はいずれも正断層であり,方向が一定しておらず,断裂面が湾曲しているものが多い。また,傾斜方向が西から南方向のものが多く,現斜面と調和的である。断裂露頭が扇状地先端部の比較的急斜面に位置していることと考え合わせると,重力に起因した地すべり性の旧すべり面である可能性が高い。

D大倉西方の伏在断層

大倉西方の伏在断層は,稲川町大倉の西方約1kmの42AC−2ボーリング地点付近に位置する伏在断層であると推定される。

臼田ほか(1977)によれば,42AC−2では相野々層が出現し,深度 500.80m(孔低)においても,本層を脱していないと記載されている。

地表踏査の結果によれば,同ボーリング地点の東側直近の山地には,それより下位の山内層が東傾斜で分布している。したがって,ボーリング地点と山地西縁とでは相野々層基底の分布標高に少なくとも500m以上のギャップがあると判断される。