○ 1896年に発生した陸羽地震による地震断層(千屋断層)については,多くの調査研究が行われている。地震直後の調査結果では,山崎(1896)が千屋断層と川舟断層を記載・図示し,Nakata.T(1976)は,陸羽地震による断層変位の結果,山地と盆地の境界部に断層崖が形成されたと指摘した。また,Nakata(1976)は,一丈木面の推定形成年代から千屋断層系の平均速度を約1o/年と算出し,陸羽地震と同規模の地震発生間隔を3,000〜4,000年と考えた。
○ 松田ほか(1980)は,陸羽地震によって出現した5つの地震断層について5万分の1の地形図に示し,いずれも山地側が隆起する逆断層センスであるとした。更に,各地震断層の性状を以下のように示している。
生保内地震断層
走向:約N30゚E・最大上下変位量:東側隆起約2m
白岩地震断層
全長約5km・東側隆起2.0〜2.5m・東傾斜の逆断層
太田地震断層
主断層線長さ約3.5km・東側隆起最大2.5m・東傾斜逆断層
千屋地震断層
全長約12km・上下変位量約3.5m・水平短縮量約3mまたはそれ以上・東側傾斜45゚〜20゚の逆断層
川舟地震断層
岩手県側に出現した地震断層・一般走向N45゚E・全長少なくとも6km・西側隆起最大約2m・西傾斜の逆断層
これらの結果から,陸羽地震による地震断層の性状を次の様にまとめている。
・全長約36km
・一般走向:N20゚E〜NS
・最大上下変位量:約3.5m
・水平短縮量:3m以上
・横ずれ変位量:0m
また,陸羽地震時の断層変位量と沖積面形成以降,2回の地震活動があったことを指摘し,平均再来期間は,3,000〜4,000年としている。
○ 平野(1984)は,白岩地震断層と千屋地震断層の断層露頭に基づいて,陸羽地震で出現したこれらの変位様式は,低角の衝上断層であるとした。また,変位を記録する地層,または地形面の年代から陸羽地震の1回前の地震発生時期は,白岩地震断層で2,600年前以前,千屋地震断層で2,700〜4,400年前としている。
○ 千屋断層研究グループ(1986)は,小森地区において,千屋地震断層を横切るにて5つのトレンチを掘削し,壁面及び周辺露出面の詳しい観察及び放射性炭素同位体年代測定を実施し,この地点での千屋断層の活動履歴と逆断層の形態を示している。
以下に要約して示す。
@陸羽地震によって変位した2つの東傾斜の逆断層を確認し,それらの断層面の傾斜は概ね20゚以下である。また,当時使用中の水田の土壌が段丘礫層の下敷きになって埋没しているのが観察された。
A 4回の断層運動が識別され,そのうち2回の断層運動から再来隔間は約3,500年としている。
B 断層の先端部において,断層の下盤側が地震以前は地表面であったことが確認され,上下盤とも未固結の地層であったことなどから,断層の形態は固結岩中のそれとは異なり,明瞭なセン断面を伴わずに,上・下盤の境界面が見えない等と指摘している。
○ 今泉ほか(1989)は,千屋断層研究グループ(1986)が実施した小森地区の南方に位置する一丈木南地区でトレンチ調査を実施している。以下に要約し,示す。
@ 断層先端部は1896年に生じた地層断層の基部に一致し,そこでは断層下盤の礫層並びに当時の水田土壌に対し,上盤の礫層や泥岩が衝上する形態を示している。
A断層の構造は小森地区のものと類似している。
B礫層先端部では断層面は水平に近い。
C 「礫層1」が「礫層2」を傾斜不整合に覆うことから,明治地震以前にも礫層2を変形させるイベントがあったと考えられる。
○ 今泉ほか(1989)は,一丈木南地区及び小森地区のトレンチを通る測線及びそれらの中間に設けた測線上において,ボーリング調査を実施し,断層面の平面図上の断層の湾曲について検討し,次頁のように述べている。
@ 平面図上の断層線は,尾根前面及び山地側において凸状に湾曲し,沢部において凹状になっているが,断層面は地表から地下に向かって,大局的に一定角度で東側に傾斜している。
このことから,尾根及び谷間に見られる平面図上の断層線の湾曲は,断層面の傾斜がほぼ一定で走向が場所によって異なるために生じたと考えられる。
A 谷底では,同一地点の地下で傾斜のほぼ同じ3枚の逆断層が上下方向にほぼ等間隔に雁行配列をしており,雁行による断層線の湾曲の可能性もある。
○ 米田ほか(1997)は,断層先端部の形態及び過去2〜3万年間の平均変位速度を検討する目的でボーリング調査等を実施し,次のように述べている。
@千屋断層は東に約20゜の角度で傾斜している。
A変位速度(ネットスリップ)
10,000年前以降・・・・・・1.4mm/年
10,000年前以前・・・・・・1.0〜1.1mm/年程度
○ 佐藤ほか(1998)は,最近の地震探査の結果から,千屋断層について以下に述べている。
@地表では30゚程度で傾斜する断層が,地下800m程度でほぼ水平になる。
A千屋断層での水平短縮量は約3.2km,断層の活動時期を240万年前と推定している。
(2)金沢断層・杉沢断層
活断層研究会(1991)によると,金沢断層は六郷町六郷東根から丘陵西縁に沿って横手市市街地に至る約10kmにわたり分布し,走向は北北東・東傾斜とし,上下変位量は5〜≧100m・東側隆起としている。また,横手市杉目地域の断層露頭では走向:N15゚E,傾斜33゚東としている。また,杉沢断層は,金沢断層の東側に平行して位置しており,横手市金沢中野南方から丘陵西縁にそって杉沢川に至る約6.5kmに分布し,走向は北北東・上下変位量は5〜20mの西側隆起としている。
(3)大森山断層
○ 辻村(1932)は,横手盆地の東縁南部には大森山断層崖が存在し,走向が北北西であり,長さは25km・崖高は300〜400m・山麓線は南部において明瞭な直線上を呈し,北部では鋸歯状をなすとしている。また,第三紀層山地を切断し,盆地床上に孤立する小丘群が分布すると述べている。
○ 臼田ほか(1981)は,皆瀬川東方山地の西縁部をほぼ南北に通る西落ち断層を稲庭断層とし,臼田ほか(1977)の馬鞍断層に連続すると考えた。
○ 活断層研究会(1991)は,大森山断層は横手市上台から丘陵西麓に沿って大森山西面の稲川町新城に至る約24kmにわたり分布し,走向は南北で,東側隆起としている。
(4)段丘面区分
○ 中川ほか(1971)は,北上沿線の段丘群について論じ,横手川黒沢沿岸の段丘面の区分をしている。
○ 臼田ほか(1976)は,「六郷」図幅において,高位段丘・中位段丘・低位段丘・扇状地・沖積低地に区分し,それらを更に2〜3面に細区分し,中川ほか(1971)及び中川(1961)と対比し,表1−2−1−2に示すように編年している。
○ 臼田ほか(1977)は,「横手」図幅において,中川ほか(1971)に基づいて段丘の対比・編年を行い,9段の段丘を細区分し,高位より順に「高位段丘」・「中位段丘」・「低位段丘」・「最低位段丘」の4段丘群に大別している。
○ 臼田ほか(1981)は,「稲庭」図幅において,4段の段丘に細区分し,高位より順に「中位段丘」・「低位段丘」に大別している。
○ 岡田ほか(1974)は,横手川の源流部に近い,山内村三又における段丘の形成年代を放射性炭素年代測定により,23,200±1,100〜900年前とした。Nakata.T(1976)はこの段丘と千畑町の一丈木面を対比している。
表1−2−1−2 調査地域の段丘面対比表