矢作川水系と庄内川水系の主要分水嶺は三国山(標高701m)から猿投山(標高629m)を経て知多半島へと続いており、特に、三国山〜猿投山の山地塊は周囲の三河高原や丘陵からは孤立した高まりを形成している。
猿投山北断層はこの山地塊に斜交するように北東−南西方向に走り、三国山、猿投山の両山塊に分断している。一方、猿投−境川断層は猿投山地の東麓を南北から南西方向に走り、山地と丘陵を分けている。
濃尾平野の東方には、尾張丘陵と総称される丘陵が広範囲に分布し、この丘陵地が三国・猿投山地の周囲を取り囲んでいる。この丘陵の背面は標高100〜300m程の定高性を示す3つの小起伏面に分けられており、高いものから藤岡面、八事面、猪高面と呼ばれている(町田ほか,1962;国土地理院,1968)。
藤岡面は瀬戸層群矢田川累層の堆積原面を残している背面であると考えられており、標高は100〜200mに達する。八事面は更新世中期の八事層の堆積面、いわゆる最高位段丘面であるが、より新期の段丘面で見られるような平坦面は残されておらず、開析によって小起伏面となっており、同様な地形面は西三河平野では三好面と呼ばれている。猪高面は、砂・粘土主体の矢田川累層から構成される部分が、差別侵食の結果八事面よりも低下して小起伏面化したものとされている。
西三河平野地域では、更新世中期以後、4段の段丘面が形成されている(町田ほか,1962)。この内の最高位段丘面は上記の三好面であり、この面は平野の北西部で120mの高度をもつが、勾配が約8/1000とこれより下位の段丘面よりも急勾配であり、三好町内では標高30m程度となって中位段丘面の挙母面下に没する。高位段丘面は挙母面と呼ばれ、平野北部で多数の開析谷によって刻まれているが、稜線部に比較的平坦な段丘面を残している。中位段丘面は碧海面と呼称され、南西方向に緩やかに傾斜する標高30〜10m程の低平な台地を形成している。低位段丘面は越戸面と呼ばれるが、この面は豊田市より上流の矢作川流域に分布が限られる。また、越戸面は沖積面との比高差が小さく、勾配も急で沖積面下に没することが多い。
また、三国・猿投山地とこの東方の三河高原に挟まれた地域、いわゆる藤岡丘陵周辺では、これらの段丘面の発達は悪く、低位段丘面が河川沿いに小規模に分布するほか、わずかに中位段丘面が認められる程度である。
沖積面は、南部では境川やこの支流、北部の藤岡丘陵周辺では矢作川の支流に沿って狭長な谷底低地として分布している。
図3−1 西三河平野の地形面分類図(森山,1996)
2)地質の概要
調査地域の山地部では領家花崗岩類が広い範囲に分布し、この地域の基盤としての位置を占めている。丘陵部では新第三系とこの上位を被覆する段丘堆積物、平野部では台地を構成する段丘堆積物と低地を構成する沖積層が分布している。
@基盤岩類
猿投山地には領家花崗岩類の一岩体である伊奈川花崗岩(柴田,1954命名)が分布する。本岩体は木曽山地南部から東濃地方南部を経て三河地域にまで分布し、中部地方の領家帯の中では最も広い分布域をもつ。伊奈川花崗岩の貫入時期は白亜紀後期とされ、新期領家花崗岩類に区分されている。
また、調査地域の地表では美濃帯中生層の分布は認められない。しかし、この断層に近接する日進市岩崎では、ホルンフェルス化した砂岩や頁岩が分布している。また、調査地南西端部の大府市森岡町で実施された深度1,500mの温泉ボーリングにより、深度720m以深に美濃帯の堆積岩類の存在が確認された(小松ほか,1995)。この資料は、本地域の基盤の状況を知る上で貴重な資料であり、図3−3に位置及び柱状図を示す。
これらの事実から、猿投−境川断層(高根山撓曲を含む)沿いの地域の基盤の一部には、美濃帯の堆積岩や変成岩が分布していると考えられる。
なお、参考資料として、桑原(1958)によって作成された東海層群の基底(基盤岩及び中新統)の分布深度を図3−2に示す。
図3−2 東海層群基底の分布深度(桑原,1958)
図3−3 大府市森岡町の温泉ボーリングの柱状図 (小松ほか,1995)を加筆修正
A新第三系
瀬戸内区に分布する新第三系は、一般に下部の中新統と上部の東海層群(石田・横山,1969)とに分けられている。
中部地方に分布する瀬戸内区の下部の中新統は、その分布域によって東濃地方の瑞浪層群、愛知県三河地方の設楽層群・岡崎層群、知多半島の師崎層群、三重県伊勢地域の鈴鹿層群・阿知波層群・一志層群等の名称が与えられている。この内、瑞浪層群に相当する地層は瀬戸市北部から猿投山地の南側にも散在的に分布しているが、これらの中新統は品野層と呼称されている(松沢・嘉藤,1954)。
伊勢湾周辺地域には、中新世後期から更新世前期にかけて陸水域に堆積した未固結の礫・砂・シルト等からなる地層群が広く分布している。これらは中新世末の6.5Ma(650万年前)頃に発生した「東海湖」(竹原ほか,1961)と呼ばれる堆積盆地に堆積した一連の地層と考えられており、総括して「東海層群」(石田・横山,1969)と呼ばれている(図3−4参照)。このうち,伊勢湾西岸に分布するものは奄芸層群(小川,1919,1920)、知多半島地域に分布するものは常滑層群(小瀬,1929)、名古屋市東部や瀬戸・東濃地方に分布するものは瀬戸層群(槙山,1950)と地域ごとに異なる名称で呼ばれている。
瀬戸層群については、本層群下部を構成する瀬戸陶土層に含まれる粘土層が窯業原料として着目され、早くより多くの資源調査が行われている(赤嶺,1954;安斉・富田,1954;松沢ほか,1960)。一方、瀬戸層群上部の矢田川累層の研究は近年盛んに行われ、それぞれの地域での火山灰層序、地質構造、古環境等が報告されている(森,1971b;中山,1987;古澤,1988)。
常滑層群については、糸魚川(1971)、牧野内(1975)等によって火山灰層序が明らかにされ、牧野内ほか(1983)では火山灰のフィッション・トラック年代が報告されている。中山・古澤(1989)は、瀬戸層群や常滑層群に挟まれる火山灰の記載・分析を行い、両者の対比から矢田川累層の層序的位置について報告している。
吉田ほか(1997)は、瀬戸層群及び品野層に挟在される火山灰のフィッション・トラック年代を求め、矢田川累層下部は鮮新世前期、瀬戸層群下部の瀬戸陶土層は中新世中期の後期、品野層は中新世前期の年代を報告している。
図3−4 東海湖の変遷(牧野内,1985)
図3−5 名古屋市東部地域の瀬戸層群の構造図(桑原,1971)
B第四系
東海湖堆積盆の消滅後、猿投運動(桑原,1968)と呼ばれる第四紀後半の断層地塊運動によって、新たな沈降域と隆起域が形成された。調査地域では、猿投山地を中心とした猿投−知多上昇帯が第四紀中期以降に隆起を開始し、この東側の猿投−碧海盆地と西側の濃尾傾動地塊を分化させた(桑原,1968)。
この猿投−碧海盆地に当たる西三河平野地域では、中期更新世以後、氷河性海水準変動が加わって最高位〜低位の4段の段丘面が形成された。これらの地形面を形成する地層は、町田ほか(1962)によって、古いものから順に三好層、挙母層、碧海層、越戸層と呼ばれている。
更新世末〜完新世にかけて堆積し、平野表層部を構成する地層を沖積層と総称する。調査地内に分布する沖積層は、主に谷底堆積物や氾濫原堆積物からなり、礫、砂、泥の不規則な互層から構成されている。
図3−6 岡崎平野の地質図(牧野内,編図)日本の地質5−中部地方U−(共立出版)より抜粋
3)活断層
@猿投−境川断層北半部
「新編 日本の活断層」(1991)によれば、猿投−境川断層は確実度T〜U、活動度B〜C、北東−南西方向に延び、断層面は西に50度〜90度傾斜し、北西側が相対的に上昇した逆断層である。岡田ほか(1997)によれば、本断層は最高位段丘面である三好面を20m以上変位させているが、活動度が低いため横ずれ変位は不明確であるとしている。
本断層は猿投山の花崗岩(伊奈川花崗岩)と中新世以降の地層(品野層、瀬戸層群)との地質境界を形成し、花崗岩が中新統〜更新統の上に衝上したもので、垂直方向の変位量は150m〜450mとかなり変化に富んでいる。しかも、既存文献による個々の断層位置は一致せず、また平行断層の存在を示す報告も少なくない(松沢ほか,1960、中山,1987)。これらの既存文献から見て、本断層は構造運動とともに少なくとも2本以上の断層が雁行し、一連の断層群を形成したものと考えられる。
なお、従来の研究によると、本断層による最高位段丘面及び中位段丘面の変位は報告されているが、低位段丘面及び沖積面の変位は報告されていない。この断層のトレンチ調査は、岡田(1989)によって報告され、花崗岩類と逆転構造をもつ瀬戸陶土層が接する断層が確認されたが、この断層を覆う谷底堆積物に変位・変形は認められず、被覆層の年代も測定されなかったため、活動履歴は明らかにされていない(図3−7参照)。
図3−7 豊田市乙部地区T1トレンチ断層部の詳細スケッチ(岡田,1979)
A猿投−境川断層南半部及び高根山撓曲
猿投−境川断層南半部及び高根山撓曲は、境川にほぼ平行して延び、境川沿いの低地と、その北西に続く丘陵地の境界付近が断層の位置に当たると推定されている。ただし、中山(1987)によって三好町周辺で数ヶ所の断層露頭が記載されている他は、この推定位置付近の矢田川累層で見られる撓曲構造から、断層の連続性が推定されているにすぎない(松沢ほか,1960;坂本ほか,1985)。
これに対し、国土地理院から発刊された都市圏活断層図(鈴木ほか,1996)では、高根山撓曲が段丘面を変位させていることを示しており、この撓曲が活断層によるものであることを提示した。
平成7年度の愛知県による「加木屋断層、高浜撓曲崖及びその周辺の断層に関する調査」の際には、高根山撓曲を対象に大府市朝日町で浅層反射法地震探査が実施された。ここでは浅層から中新統に至るまで、断層の存在を示すような地質構造は確認されていない(図3−8、図3−9)。
図3−8 大府市中央町〜朝日町地区の浅層反射法地震探査 測線位置図
「加木屋断層、高浜撓曲崖及びその周辺の断層に関する調査」(愛知県総務部,1996)
図3−9 大府市中央町〜朝日町地区浅層反射法地震探査 結果図
「加木屋断層、高浜撓曲崖及びその周辺の断層に関する調査」(愛知県総務部,1996)
B猿投山北断層
「新編 日本の活断層」によれば、この断層は確実度T〜U、活動度B、北東−南西方向に延びる右横ずれ断層とされている。右横ずれ量は、河川の屈曲から50〜250mの横ずれ変位量を示し、垂直変位については愛知県側では南東部、岐阜県側では北西部が上昇した蝶番状の断層とされている。
この断層は、平成7〜8年度に愛知県建築部によって詳細な調査が行われ、瀬戸市域の詳細な活断層図が作成された。また、瀬戸市東部の東白坂町でのトレンチ調査では活動履歴と1回当たりの変位量が解明され、地震危険度評価がされた。
しかし、断層面の深部での傾斜角度は解明されていない。
なお、図3−10に、東白坂トレンチの北東壁面のスケッチを示す。
図3−10 瀬戸市東白坂トレンチの北東壁面スケッチ
「平成8年度 瀬戸市南東部地区整備事業地質調査その2」(愛知県建築部,1996)
C笠原断層
「新編 日本の活断層」によれば、この断層は確実度T〜U、活動度B〜C、東北東−西南西方向に延び、断層面は南に60度〜90度で傾斜している。相対的に南側が上昇しており、垂直変位量は150m以上と見積もられている。
笠原断層は赤嶺(1954)、桑原(1971)により図示されている。石川(1991)の記載によれば、本断層はほぼ平行してN70゚E方向に雁行配列する複数の断層から構成され、断層面は45度〜80度南に傾斜しており、地質的には東海層群の土岐口陶土層や土岐砂礫層と基盤の中・古生層の境界をなしている。この断層は地形的に顕著な断層崖によって示され、垂直方向の変位量が大きく、土岐砂礫層及びその相当層の分布高度から、これらの堆積後約200mに及ぶ垂直変位が生じたとされている。ただし、断層崖の山麓部は扇状地や崖錐によって被覆されており、変位地形は不明瞭である。
笠原断層については、現在までのところトレンチ等の詳細な断層調査はされておらず、変位地形も不明瞭であることから第四紀後期以降の活動履歴は不明である。また、最近の平均変位速度等の活動度を示す資料についても詳細なデータは得られていない。
なお、本調査の重点断層の猿投−境川断層及び高根山撓曲について、既存文献より断層位置を1:50,000地形図に落とし、図3−11に示す。
図3−11 文献調査による猿投−境川断層及び高根山撓曲の記載位置(1:50,000)
4)地震関係
@歴史地震
中部地方は関東・東北地方に比較すると有感地震の発生頻度は少ない。しかし、海洋域で発生する巨大地震や、内陸部の浅所で発生するいわゆる内陸直下の地震によって、しばしば甚大な被害を受けている。中部地方で発生したマグニチュードM8級の大型地震としては、明治以降の約100年間では濃尾地震(1891)と東南海地震(1944)があり、明治以前では天正地震(1586),遠州灘沖合の宝永地震(1707)及び安政地震(1854)等が挙げられる。このほか、マグニチュードM7級の地震は計15回程発生した記録が残されているが、猿投山断層帯付近での歴史地震の記録はない(図3−12、飯田,1985による)。
しかし、唯一M6級の地震として、飯田(1985)によると、愛知県瀬戸市の「定光寺年代記」の記録から、1510年9月20日の地震により定光寺の堂舎破敗、定光寺仏殿方函山門一時破敗が報告されている。この地震は、M6.7、震度X〜Yと推定されており、震央は確定されていないが、定光寺は笠原断層沿いであり、この断層の周辺で起こった地震の可能性が考えられる。
また、図3−13(名古屋大学地震予知センターの資料による)に示されるように、中部地方の浅発地震(深度20km以下)は、断層系沿いや過去の大地震の余震域に沿って多数発生し、震央位置は帯状に集中して分布している。一方、調査地を含む領家帯では断層の発生頻度が美濃帯や飛騨帯に比較して非常に少なくい。
図3−12 愛知県に被害を及ぼした震度X以上の地震の震央分布(飯田,1985)
図3−13 中部地方に1982〜1987年に発生した深さ20km未満の浅発地震の震央分布図
(日本の地質5 中部地方Uより抜粋)
A液状化記録
図3−14には、「日本の地盤液状化履歴図」(東海出版会)から、調査地周辺地域の液状化履歴分布図を示す。
これによると、三河地震(1945.1.13)時には、西三河平野地域では広い範囲で震度6〜7の強い揺れが発生し、平野南東部の低平な地域で多くの噴砂現象が認められている。また、濃尾地震(1891.10.28)やこの余震(1894.1.10)の際には、濃尾平野の広い範囲で液状化現象が確認された。
一方、猿投山断層帯沿いの調査地域では、猿投−境川断層南方の豊田市梅坪、挙母付近で濃尾地震時の液状化が認められている。しかし、この液状化発生地域は矢作川沿いの沖積低地に当たる狭い地域に限定され、調査地全体としては液状化履歴の分布密度は非常に低い。
猿投−境川断層沿いの西三河平野北東部は、段丘が発達し沖積低地の分布は各河川沿いの狭長な範囲に限られている。このような地形状況は猿投山北断層及び笠原断層沿いでも同様であり、過去に液状化の発生が確認された例の少ない地域である。
図3−14 調査地域周辺の液状化履歴
「日本の地盤液状化履歴図」(東海大学出版会)から抜粋
4)既存ボーリング等資料
調査対象である猿投山断層帯周辺の既存ボーリング等の資料を収集し、その一部を地質断面図の作成等に利用した。
なお、調査対象である猿投山断層帯の内、猿投−境川断層北半部、猿投山北断層、笠原断層は山地と丘陵を分ける断層であり、個々のボーリング資料のみから断層位置あるいは断層変位が確認できるような事例は認められない。ただし、特記されるものとして、建設省中部地方建設局による東海環状線(国道475号)の調査が挙げられ、この調査では猿投−境川断層、猿投山北断層を横断して物理探査、ボーリング調査等が実施されている。
一方、猿投−境川断層南半部及び高根山撓曲については、豊明市栄地区、大府市横根地区で行われたボーリング調査で、新第三紀矢田川累層の撓曲構造が確認されている。
@猿投−境川断層北半部
建設省中部地方建設局名四国道工事事務所による東海環状線(国道475号)の調査の一環として、猿投−境川断層を対象とした極浅層反射法地震探査、ボーリング調査による断層調査が平成7年度に実施された。図3−15、図3−16、図3−17に、これらの調査位置図、極浅層反射法地震探査結果図、地質断面図を示す。
極浅層反射法地震探査結果から2本の断層(断層T及びU)が推定され、これらを対象にボーリング調査が行われている。また、ボーリングコア試料の放射性炭素法年代測定が行われ、沖積層、低位段丘堆積物相当層から成る基盤被覆層の年代(14C年代、2,710±80y.B.P.;37,730±700y.B.P)が求められている。
この調査の結論として、
・花崗岩と瀬戸陶土層が接する断層Tの西側に断層Uがあり、この間の25mは破砕帯となっている。
・断層Uには約4mの落差があり、埋没した断層崖である。
・断層Uは約38,000年前の低位段丘堆積物を変位させており、約2,700年前の沖積層に覆われている。
・断層Uは約38,000年前〜約2,700年前の間に少なくとも1回の断層活動があったと考えられる。
とされている。
図3−15 豊田市猿投町地区 調査位置図
「平成7年度 475号猿投地区断層調査 報告書」(建設省中部地方建設局,1996)
図3−16 豊田市猿投町地区 極浅層反射法地震探査結果図
「平成7年度 475号猿投地区断層調査 報告書」(建設省中部地方建設局,1996)
図3−17 豊田市猿投町地区 地質断面図
「平成7年度 475号猿投地区断層調査 報告書」(建設省中部地方建設局,1996)
A猿投−境川断層南半部及び高根山撓曲
豊明市栄地区は、日本道路公団により第二東名高速道路の建設が進められている地区である。この地区では、現在の名四国道上を高架で高速道路を通過させるため、その橋脚位置で平成5年〜平成7年にかけてボーリング調査が行われた。このボーリング調査の資料をもとに、断層を横断する地質断面図を柱状図見直して作成し、図3−18に示す。
この断面図では、断層の西側では、第三紀東海層群の撓曲が約150m区間に顕著に現れており、段丘堆積物も緩やかに傾斜している。断層より東側では、東海層群やその上位の中位段丘堆積物の碧海層がほぼ水平に堆積している。この位置は、地形的に判断される撓曲と一致している。これらより、この撓曲が中位段丘堆積層の碧海層まで変位させている証拠となる重要な資料である。
また、図3−19に示す大府市横根地区では、下水道埋設のためのボーリング調査が行われ、断層を横断するボーリング資料が存在する。この既存資料は全体にボーリング深度が浅いが、柱状図の記事を読み直して断面を作成した。この結果、ボーリングでは豊明市栄地区のように明瞭な撓曲構造はでていないが、矢田川累層が撓曲している構造が推定され、断層の存在を推定できる貴重な資料である。
図3−18 豊明市栄地区のボーリング断面図
図3−19 大府市横根地区のボーリング断面図(下記のボーリングデータを基に作成)
「公共下水道事業設計地質調査業務委託 報告書」(大府市,1993)
B猿投山北断層
建設省中部地方建設局愛知国道事務所によって、平成3年度、平成5年度に東海環状自動車道(国道475号)の地質調査が行われた。この調査では、瀬戸市東山路町において猿投山北断層を直交するように屈折法による地震探査及びボーリング調査が実施されている。
図3−20は、これらの結果を総合的に解析した地質断面図であり、猿投山北断層は、破砕帯の幅約50mで、南東に約70度で傾斜した逆断層として描かれている。この断面は、猿投山北断層の存在を示す貴重なデータである。
図3−20 瀬戸市東山路地区の既存断面図
「平成5年度 475号瀬戸地区地質調査 報告書」(建設省中部地方建設局愛知国道事務所,1994)