知多半島に広く分布する中新統〜鮮新統の東海層群は、尾瀬(1929)によって研究され、常滑層群と命名された。近藤ほか(1956)は、常滑層群を下位から豊丘・野間・鬼崎・三和と4累層に区分した。HAYASAKAandIWAI(1960)の貝化石の研究や近藤(1956)の研究により、野間累層は常滑層群と不整合関係であることが明らかになり、常滑層群は豊丘・鬼崎・三和の三累層より成るものと再定義された。
しかし、その後松澤・植村(1957)、佐藤・近藤(1960)、松沢ほか(1962)、大塚(1964)
等が知多半島の岩相層序区分を行っているが、地層名も統一されなかった。また、調査地地域相互の間の層序の対比が十分なされなかった。
1960年の終わりころから調査地域に広く分布する火山灰を鍵層とする火山灰層序学による研究が行われ、知多半島の東海層群の層序や構造が明らかになって来た。糸魚川(1971)は、知多北西部の層序・地質構造を明らかにし、知多半島に分布する東海層群を常滑累層とした。森(1971)は、糸魚川(1971)の扱った地区の火山灰層と他の地域の火山灰の対比を行った。
牧野内(1975a)は、知多半島南部に分布する地層を常滑層群とし、下位から豊丘累層・河和累層・布土累層に区分した。火山灰層の対比から糸魚川(1971)の常滑累層が、布土累層に対比されることを明らかにした。また、牧野内(1976)、MAKINOUTI(1979、1980)、牧野内ほか(1983)により知多半島南部の地質構造、地史等を明らかにした。
坂本ほか(1985)は、地質調査所の地域地質研究報告として『名古屋南部地域の地質』をまとめている。添付されている地質図(縮尺1/50,000)に東海層群(矢田川累層)の地質構造から名和−加木屋撓曲、大高−大府撓曲、高根山撓曲を表示した。
吉田ほか(1960)は、地質調査所の地域地質研究報告として『半田地域の地質』をまとめ、特に東海層群に挟在される火山灰を追跡して8枚の火山灰の分布を表示した地質図(縮尺1/50,00)を作成した。この地質図で東海層群の構造を明らかにし、名和−加木屋撓曲、大府−大高撓曲、平井撓曲、半田池撓曲の構造を示した。
細山(1995)は、大府丘陵北部等の東海層群を研究し、9枚の火山灰が分布することを明らかにした。また、猿投−知多上昇帯は、東北−南西方向の褶曲構造である猿投上昇帯と北北西〜北西方向の褶曲構造である知多上昇帯に分けられることを述べている。
2)第四系
知多半島全体の第四系を対象とする地形・地質的研究は、松田(1969)が挙げられる。即ち亀崎・半田・岩滑・緒川の段丘の区分を行った。これらの名称は、地域地質研究報告『半田地域の地質』に引き継がれている。
牧野内(1975b、1980、1985)は、武豊層や高位段丘、中位段丘の研究を行っている。
碧海台地を含む西三河平野の第四系は、町田ほか(1962)により研究され、高位から藤岡、三好、挙母、碧海、越戸の各段丘に区分している。
桑原ほか(1985)は、西三河地区(碧海盆地)のボーリング資料の微化石分析結果等より地下の地質構成を明らかにした。
3)活断層
調査地域の地形・地質・断層の文献を収集整理し、各断層の実体を把握した。
調査地域には、高根山撓曲、大高−大府断層、高浜撓曲崖(断層)、加木屋断層、阿久比撓曲、平井撓曲、半田池撓曲等が分布するが、いずれも鮮新世の東海層群の地質構造から推定される撓曲構造である。また、東海層群を不整合に被覆する更新世の加木屋層等も傾動している(牧野内(1875b)、坂本 亨ほか(1985)、吉田史郎ほか(1985)、細山光也(1995)など)。
地形解析から活断層について研究した論文は少ないが、高浜撓曲崖沿いに、地形解析やボーリング資料等から活断層を推定し、油ヶ淵断層の名称を提案している(森山昭雄1994,1996)。
平成8年10月に国土地理院から都市圏活断層図(名古屋南部、半田)が発刊され、大高−大府断層や高根山撓曲が段丘層を変位させていることを明瞭に示している。
今回の調査対象の活断層の各文献の記述は、巻末資料−1に示した。