3−1−4 既存ボーリング資料の解析

ボーリング資料は、調査対象活断層存在の推定根拠の柱の一つである。松沢・桑原(1964)、桑原(1985)等により、断層位置はかなり絞り込まれているが、坑井間隔が広いこともあり、地層が不連続かどうかについては疑問の余地がある。ここでは、対象断層を横切る短区間での既存ボーリング資料を収集し、地層の連続性について検討した。

使用したボーリングデータは、愛知県防災会議地震部会(1991)により実施された「濃尾地震を想定した愛知県の被害予測調査」で収集されたボーリングデータを中心として、これに、愛知県水位観測井、日本道路公団名古屋建設局一宮工事事務所より提供頂いた東海北陸自動車道建設工事に伴う調査ボーリング、建設省名古屋国道管理事務所より提供頂いた国道23号線沿いの調査ボーリング、温泉ボーリング等の資料を追加した。これらのボーリング資料をもとに断面図を作成した。

図3−29−1に断面図位置の概略図を、図3−29−2図3−29−3図3−29−4図3−29−5図3−29−6図3−29−7図3−29−8図3−29−9にボーリング地点位置図を、図3−30−1図3−30−2図3−30−3図3−30−4図3−30−5図3−30−6図3−30−7図3−30−8に地下地質断面図を示す。

以下では、各断面図毎に断層の有無を中心に検討する。

岐阜−一宮線 LINE−1,LINE−2,LINE−3,LINE−4,LINE−5

大藪−津島線 LINE−6

大垣−今尾線 LINE−6

木曽岬線 LINE−7,8

Line 1 :

・第一礫層、濃尾層?、南陽層中の泥質層との境界の連続性は良好であり、第一礫層上面は比較的単調に東に向かって深度を減じるものと解釈した。

・ただし、#9の第一礫層上面が#8,#10のものと約7m食違っている。松沢・桑原(1964)によるボーリング結果(図3−13)によれば、#9の礫層は、N値が大きすぎるが、濃尾層あるいは南陽層中の礫層である可能性もある。しかし、後述する反射法結果ではこの位置付近のごく浅部に断層が認められ、この上がりブロックに#9が位置する可能性もある。

Line 2 :

・Line 1と同様に、第一礫層上面、南陽層中の上部泥質層と下部砂質層の境界の連続性が良好であり、第一礫層上面は東に向かって深度を減じる。#11〜#16で凹凸が見られるのは、#11〜#14が断面の南側に、#15と#16が北側に、それぞれ離れて位置しているためであり、南北方向の深度変化が影響しているものと解釈した。

・一般に第一礫層上面の形状と南陽層中の境界の形状は調和的であり、断層の存在は示唆されない。

Line 3 :

・本断面においても、第一礫層上面は東に向かって浅くなる傾向にある。#20付近を境として西側で第一礫層上面の傾斜が大きくなる傾向が見られる。

・#17、18、19の第一礫層上面は凹凸をもつが、#17、18が測線から南に離れて位置する ことによるものと考えられる。

・南陽層中の境界深度についても第一礫層と同様に#20を境として西側でやや急傾斜を示している。

Line 4 :

・全体の傾向は上記の三断面と同様である。特に断層を示唆する様な深度の急変は認められない。

・#17と#18の間において第一礫層上面の深度が約5m異なるが、#18が他の井戸から比較的離れて、断面の南に位置するためであると考えられる。

Line 5 :

・本断面では、第二礫層上面、熱田層下部上面および熱田層/南陽層境界が追跡できた。

・熱田層下部の泥岩主体の特徴、上部の砂質岩を主とし浮石を伴う特徴、南陽層のN値および貝化石等の特徴に基づいて境界を判断した。

Line 6 :

・第一礫層、南陽層中の海成粘土層/上部砂質層境界を追跡した。連続性は良好であり、断層の存在は示唆されなかった。

Line−7および8

・Line−7では第一礫層上面、南陽層中の海成粘土層境界を、Line−8では南陽層中の海成粘土層の境界を追跡した。

・断面の西端で境界が浅くなる様子が、両方の断面について読み取れる。Line−7西端に見られる高まりはLine−8の西端へと連続するものであると思われ,背斜状の構造の存在が示唆される。

以上の既存ボーリング資料の見直しの結果、木曽川町のLINE−1の#9を除き、明瞭な断層の兆候は一切認められなかった。ただし、坑井は一般に偏在しており、断層の確認には坑井密度が不十分な個所が多い。例えば、木曽岬には背斜構造が存在する兆候は求められるが、坑井密度及び深度の問題から、断層や撓曲等の変動構造の確認はできなかった。

今回のボーリング資料の見直しの結果と従来のボーリング資料による見解との比較を岐阜−一宮線を横断する2測線について図3−31−1図3−31−2に示す。比較データは、松沢・桑原(1964)、桑原(1985)とした。これらをそれぞれ以下のように呼称する。

今回の見直し : 1997

松沢・桑原(1964) : 1964

桑原(1985) : 1985

なお、先に述べたように1997では、断面から南北に離れた位置のデータは使用していない。一方、1985では南北方向にかなり広い範囲のデータを使用している点に注意する必要がある。

図3−31−1に示した木曽川町の東西測線では、三者の第一礫層上面の深度及び形状は良く対応しており、木曽川東では単傾斜で緩やかに西に傾斜している。1985において、この凹凸が木曽川以東で若干大きいのは、断面から南北に離れたデータも使用していることによるためと考えられる。1964では沖積層中に礫層を解釈しているが、これらは1985では認められない。1997の#9の深度−3m付近の礫層はこれに対応する可能性もあるが、周囲の坑井では未確認で、さらに沖積層中の礫層としてはN値が大きすぎるため、第一礫層の可能性が高い。坑井データの信頼性の点で問題はあるが、#9付近に断層が存在する可能性がある。また、1964と1985の第二礫層上面も良く対応している。1985では明瞭ではないが、JR付近で第二礫層の傾斜が若干変化しているように見える。

図3−31−2は一宮市付近の東西測線であり、1964は1985と1997に比べて若干北側に位置している。これらの第一礫層上面の深度及び形状は良く対応している。1985の凹凸は、坑井位置が南北にばらついているためと思われる。第一礫層は単傾斜で西に緩やかに傾斜している。1964の第二礫層上面はJRやや東でその傾斜が変化し、これを岐阜−一宮線に対応するものと推定している。1997でもJRやや西で同じ傾向が認められる。1985ではJR付近に凹凸はあるものの、特に傾斜変化は認められない。熱田層中の浮石層はJR付近で急傾斜となることが杉崎・柴田(1961a)によって指摘されているが、1964及び1985ともにこのような事象は認められない。