清洲城下町遺跡の発掘調査において始めて天正地震(1586年)の地震痕(森、鈴木(1989))が報告されて以来、遺跡中に認められる地震痕跡も多数報告されている。表3−4−1、表3−4−2には現在までに報告されている濃尾平野中で確認された地震痕一覧を示す。
これらの地震痕の形態は、噴砂を含む液状化(噴砂形成過程で生じる砂で充填された割れ目部分を砂脈)、小断層、地層の変形である。また、地震痕を発生させた地震の発生年代は考古遺物によって決定される年代の明らかな地層に対する地震痕跡の状況によって推定することができる。さらに、砂丘等のサイズから地震の規模を推定することもできる(金折他、1993)。
服部(1996)は、これらの地震痕データの解析により、図3−28に示すように、弥生時代以降最低でも11時期の液状化を伴う地震発生を想定している。表3−5には濃尾平野に被害の発生した歴史時代の地震一覧を示す。現時点では、これらの地震の一部についての地震痕のみが確認されているが、今後地震痕資料の集積とともに地震痕に対応する地震の数は増えていくものと考えられる。上記の地震痕が確認された地震は、
@ 弥生時代前期(B.C.3世紀頃)
A 古墳時代前期(A.D.3〜4世紀頃)
B 古墳時代前期〜後期(A.D.5世紀頃)
C 古墳時代後期(A.D.6世紀頃)
D 白鳳南海地震(684年)に対応?
E 美濃国府地震(745年)に対応?
F 仁和南海地震(887年)に対応?
G 正平南海地震(1361年)に対応?
H 天正地震(1586年)
I 濃尾地震(1891年)
J 東南海地震(1944年)
がある。
以上の地震痕に関係づけられる地震の震源については、近世のものを除き特定化は難しいのが現状であるが、内陸型の地震は天正地震と濃尾地震であり、残りの多くは海溝型の地震によるものと考えられている。
これらの地震痕はほとんどが液状化に関するものであり、また、遺跡の分布域も偏るため、調査対象断層と直接に関連づけることはできない。しかし、愛知県周辺で歴史時代に発生した地震により木曽川以南の濃尾平野全域において液状化が度々発生したことは確実である。