(1)既存情報の確認事項

調査対象断層の新編日本の活断層(1991)での記載を表3−2に、それらの推定位置を図1−1に示す。

いずれの断層も平野下に伏在する断層(確実度はU)であり、現在も堆積作用の継続する沖積平野下に存在するため、地表には活断層による変位地形は認められない(岡田,1979)。しかし、地下帯水層の調査や地盤沈下等の調査の過程で非常に多数のボーリング資料による地下地質構造の検討(杉崎・柴田(1961a)、松沢・桑原(1964)、横尾他(1967))が行われた。上記の調査対象断層は全てこの結果推定されたものである。さらに、濃尾地震前後の測地測量結果や被害分布状況(井関(1966)、横尾・堀内(1969))、被害分布から推定された震度分布状況(村松,1963)、重力測定結果(飯田(1955,1967))もこれらの断層の存在を支持する重要な推定根拠である。これらを断層別に表3−3にまとめた。以下にその推定根拠及び性状について述べる。

・杉崎・柴田(1961a)による第一礫層上限、軽石層及び第二礫層上限等深線図を図3−12に示す。岐阜−一宮線は、第一及び第二礫層、特に軽石(浮石)層のコンターの密な個所に対応する。ただし、一宮市以南では断層推定線(新編日本の活断層での位置)よりは東に偏向しており、第二礫層では第一礫層よりも若干東側に位置している。大藪−津島線、大垣−今尾線は第二礫層上限深度図のコンターの密な領域に対応している。

・松沢・桑原(1964)によるボーリング資料の解析(図3−13)では、岐阜−一宮線は国鉄東海道線に沿う付近で地層傾斜が西へやや急傾斜を示し撓曲が認められることから基盤岩体の変動に伴うものと予想された。これは図3−14に示す地盤高図の傾斜変化部とも対応している。また、大垣−今尾付近を通る南北線を境に両側の更新統の地層に食い違いが生じており(図3−15)、その位置から養老断層に付随的な断層であろうとしている。さらに、木曽川の下流沿いに木曽川の河口から弥富町木曽川橋付近を通り南北方向に走る背斜構造(図3−16)が存在し、この背斜構造の北縁付近では第二礫層及び熱田層が北に向かって部分的に急斜し撓曲を示す(図3−17)。この構造も基盤岩体における断層に起因するものと推定した。

・横尾他(1967)は以上の結果を踏まえて、濃尾平野中の断層について整理した(図3−18 上図)。

・桑原(1985)は、多数のボーリング資料による解析結果として(図3−18 下図)を示した。

新編日本の活断層に示された断層は、おおよそこれに準拠している。さらに、熱田層下部粘土層上限及び第二礫層基底深度図を図3−19に示す。ボーリング資料は、杉崎・柴田による深度図に比べ飛躍的に増加している。杉崎・柴田によって指摘された大垣−今尾線に対応する地域でコンターが密になっている。弥富線に対応する個所でも深度急変部が認められるものの、大藪−津島線及び岐阜−一宮線に対応した異常は特に認められない。

・飯田(1955,1967)によるブーゲー重力異常(図3−20)によれば、濃尾平野においては北西−南東方向のトレンドが卓越し、養老山地付近と名古屋市で重力急傾斜部が存在する。ただし、岐阜−一宮線の走向に一致した重力異常を示すものの、岐阜−一宮線に対応した異常は認められない。

・濃尾地震時に地震断層は認められないものの被害の極めて集中した線状の地域として3つの震裂波動線が報告されている(図3−21)。これらの内、第2震裂波動線は岐阜−一宮線に、第3震裂波動線は大垣−今尾線推定位置に対応している(井関(1966)、横尾・堀内(1969))。

・濃尾地震前後の10年間に実施された水準測量結果による変動量は、図3−22に示すように、岐阜と名古屋を結ぶ線を境界として東側が相対的に最大0.75m隆起し、西側が0.3m沈降した。この境界は岐阜−一宮線にほぼ一致している(村松(1963)、井関(1966))。

・村松(1963)は、濃尾地震時の被害状況から震度分布を推定した。図3−23に示す結果によれば、地表で確認された地震断層(温見・根尾谷・梅原断層等)に沿う地域以外の濃尾平野中で北西−南東方向の強震度域が存在すること及び濃尾地震前後10年間の水準変動に注目し、岐阜−一宮線は根尾谷断層の真の延長であり、隆起・沈降の境界に対応しているとした。

・濃尾地震前後10年間の水準変動に関し、上の村松(1963)と異なる見解がある。松田(1974)は、岐阜−一宮線の東側の広い隆起部は根尾谷・梅原断層の左ずれに伴う特徴的な末端隆起現象(後述)であり、岐阜−一宮線は隆起部の発生に伴い間接的に出現したと考えた。

・杉崎・柴田(1961b)は、図3−24に示すように、大垣−今尾線の両側の第二礫層中の水質が急変することを示した。西側は停滞性を示しており、これは第二礫層の傾斜の急変と対応するものとした。一方、第一礫層には水質変化も地層の傾斜変化も認められないが、これは表層に不透水層を欠き(養老層の層厚<30m)、断層から幾分西側に寄って始めて地表からの混入を遮断する不透水層が現れることにより、地表の影響を強く受け、断層による水質の差が消されたためと推定した。

・大垣−今尾線については、松沢・桑原(1964)はボーリング資料(図3−16)をもとに、更新統の地層の食い違いを生じさせた構造として(食い違いの程度は不明)、大垣と今尾を結ぶ南北方向に推定し、伊吹・養老断層に付随的なものと考えた。なお、この位置については明示されていないが、本文中の記載等からは、図3−26のように判断される。大垣−今尾線は、最近では、新編日本の活断層(1991)等によって、今尾と弥富を結ぶ北西−南東方向に位置する西落ちの断層とされている(図1−1)。主な推定の根拠は、ボーリング資料の第四紀層中の傾斜急変部の分布状況である。しかし、この位置は、松沢・桑原(1964)とは若干異なっている。